ニッポンの開国
第1期グレートゲーム(The Great Game)が終了した。 Napoleonに対して共に戦ったロシアとイギリスがアジアで対立する中、新興国ドイツ第二帝国が台頭してイギリスとフランス第三共和政の共通の敵となり、イギリス・フランス・ロシアが三国協商を組み、ドイ…
ニッポンの開国、今回はいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で大政奉還、王政復古の大号令、明治維新政府樹立を学ぶ。事実だけ。 1867年[US091]大政奉還がなされ、1868年[US092]王政復古の大号令が発せられて明治政府による天皇親政が始まった。 1867…
ニッポンの開国このあたりから攘夷そして大政奉還への流れをいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は兵庫開港要求事件。最初に事実だけ。 1865年[US089]イギリス駐日公使パークスが、フランス、オランダ、アメリカと連合艦隊を兵庫に派遣し…
ニッポンの開国このあたりから攘夷そして大政奉還への流れをいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は四国艦隊下関砲撃事件。最初に事実だけ。 1864年[US088]馬関海峡封鎖を不満に思っていたイギリスの駐日公使オールコックがフランス、オラ…
ニッポンの開国このあたりから攘夷そして大政奉還への流れをいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は薩英戦争、というよりまえんはまいっさ(前の浜戦)と呼びたい。最初に事実だけ。 1863年[US087]8月イギリス艦隊7隻と薩摩藩が戦い、イギ…
ニッポンの開国このあたりから攘夷そして大政奉還への流れをいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は下関事件。最初に事実だけ。 1863年[US087]6月長州藩が攘夷実行として馬関海峡(現在の関門海峡)を封鎖。航行中のアメリカ、フランス、オ…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はロンドン覚書とパリ覚書。最初に事実だけ。 1862年[US086]江戸幕府はイギリスと交渉してロンドン覚書を締結、修好通商条約で定めた開港・…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はロシア軍艦対馬占領事件。最初に事実だけ。 1861年[US085]ロシアの軍艦が対馬を占領したが、江戸幕府の抗議、イギリスの介入等によって約…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は日普修好通商条約。最初に事実だけ。 1861年[US085]1月プロイセン王国と江戸幕府は日普修好通商条約を締結した。 1861年[US085]1月24日江…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は咸臨丸の米国派遣。最初に事実だけ。 1860年[US084]日米修好通商条約の批准書交換のため、咸臨丸がPawhatanと共に太平洋を渡った。 1860年…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は日仏修好通商条約。最初に事実だけ。 1858年[US082]10月フランスと江戸幕府は日仏修好通商条約を締結した。 1858年[US082]10月9日江戸幕府…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は日英修好通商条約。最初に事実だけ。 1858年[US082]8月イギリスと江戸幕府は日英修好通商条約を締結した。 1858年[US082]8月26日江戸幕府…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は日露修好通商条約。最初に事実だけ。 1858年[US082]8月ロシアと江戸幕府は日露修好通商条約を締結した。 1858年[US082]8月19日江戸幕府と…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は日蘭修好通商条約。最初に事実だけ。 1858年[US082]8月オランダのクルティウスと江戸幕府は日蘭修好通商条約を締結した。 1858年[US082]8…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はアロー戦争を契機として結ばされた日米修好通商条約の締結。最初に事実だけ。 1858年[US082]7月アメリカのハリスと江戸幕府は日米修好通商…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回は日蘭和親条約の締結。最初に事実だけ。 1856年[US080]オランダ外交官クルティウスと江戸幕府は日蘭和親条約を締結、正式に国交が結ばれた。オランダ人が出島から外出することが許され…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はプチャーチンの再々来航。真摯なロシアは不本意ながら、アメリカ、イギリスに次いで三番手となってしまうが、津波に襲われながらも日露和…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はイギリスのスターリング来航。今回も外国船の拿捕が目的。イギリスとロシアがクリミア戦争で交戦中だったところ、プチャーチンのロシア艦…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回はロシアのプチャーチン再来航。ペリー再来航の前でありロシアとニッポンの間の条約締結交渉は漸進にとどまる。最初に事実だけ。 1854年[US078]1月ロシア海軍中将プチャーチンが、黒船4…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回はロシアのプチャーチン来航。アメリカのペリー派遣を察知したロシアがすぐにリアクションした。ただし、シーボルトの影響もあり、紳士的なアプローチを採った。最初に事実だけ。 1853年…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回は1852年[US076]のオランダ別段風説書。最初に事実だけ。 実は、1852年[US076]にオランダが提供した別段風説書で翌年のペリー来航はかなり詳細に幕府に伝えられていた。黒船来航はサプラ…
アドホックにフランスの地政学として黄埔条約を学ぶ。事実だけ。 1844年[US068]イギリス、アメリカについで、フランス七月王政も清と黄埔条約を締結。清は広州、福州、廈門、寧波、上海の5港を開港させられた上、関税自主権を喪失、治外法権を認め、最恵国待…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回はオランダ国王ウィルヘルム2世からの国書。最初に事実だけ。 1844年[US068]アヘン戦争の後、ネーデルラント王国(オランダ)国王ウィルヘルム2世から開国を促す国書が届いたが、翌年幕…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はモリソン号事件。満を持してアメリカの登場である。最初に事実だけ。 1837年[US061]アメリカ商船モリソン号が浦賀に接近したが撃退され、…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はシーボルト事件。最初に事実だけ。 1828年[US052]ドイツ連邦バイエルン王国出身で長崎出島のオランダ商館付きの医師シーボルトが、帰国の…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回は大津浜事件と宝島事件。最初に事実だけ。 1824年[US048]イギリスの捕鯨船数隻が水戸藩の浜に上陸して捕縛された(大津浜事件)。また、薩摩藩沖の宝島にイギリスの捕鯨船員が上陸して…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はゴローニン事件。最初に事実だけ。 1813年[US037]ロシアの艦長ゴローニンと高田屋嘉兵衛を交換釈放。国境画定の議論もなされ、江戸幕府は…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はフェートン号事件。最初に事実だけ。 1808年[US032]オランダ船拿捕を目的とするイギリスの軍艦フェートン号が不法に長崎に侵入した。 フラ…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はレザノフ来航。最初に事実だけ。 1804年[US028]ロシアのレザノフが長崎に来航して通商を求めた。幕府はこれも拒否したが、1806年[US030]薪…
ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回はラクスマン来航。最初に事実だけ。 1792年[US016]ロシアのラクスマンが根室に来航して通商を求めた。しかし、江戸幕府はこれを拒絶した。 …