Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

アメリカの地政学21:1812-1814米英戦争(1812年戦争)

ひきつづきアメリカの地政学として米英戦争1812年[US036]戦争)を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 

1812年[US036]米英戦争勃発。アメリカはカナダの獲得を狙ったが失敗した。戦争は1814年[US038]に終結した(ガン条約)が、顕著な領土変更は生じなかった。一方で、アメリカによるインディアン征服が一層進展した。

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1812年[US036]6月18日アメリカがイギリスに宣戦布告して米英戦争1812年[US036]戦争)勃発。アメリカは西進を阻むインディアンに対するイギリスの支援を封じること、カナダを奪うことなどを目的として戦争を始めた。

しかし、戦争は長引き疲弊したアメリカとイギリスは1814年[US038]12月26日にベルギーでガン条約に調印して戦争を終結させた。

ただ、新旧大陸間は船で数週間かかり講和成立の知らせが届かず停戦が遅れた。ガン条約調印後も、アンドリュー・ジャクソン率いる民兵軍がニューオーリンズでイギリス軍を撃破したり(ニューオーリンズの戦い、1815年[US039]1月8日)、イギリス軍がアラバマの町モビールを攻撃してアメリカ軍守備隊を降伏させたり(1815年[US039]2月11-12日、ボイヤー砦の戦い)など戦闘は継続し、実際に戦闘が終結したのは1815年[US039]2月だった。

アメリカはナポレオン戦争中のイギリスからカナダを奪おうとしたが、失敗。逆に首都ワシントンを焼き討ちされてしまった。イギリスからの援軍は1814年[US038]になるまで到着せず、カナダ人は強国アメリカに対する防衛戦に勝利した。結局、米英戦争北アメリカ大陸における最大の意義は1867年[US091]7月1日のカナダ連邦成立につながるカナダ人の一体感を醸成する端緒となった点に見出すべきだろう。

もうひとつの意義はアメリカによるインディアン征服の進展である。西部戦線ではアメリカ軍はインディアンに対して一定の戦果を上げたようだ。特に、ガン条約においてイギリスがインディアンに対する同盟を放棄したため、以後インディアンはアメリカに対する戦いで外国を宛てにできなくなった点がインディアン戦争にとっての大きな転機となったと評価できる。

経済的な意義も大きかった。米英戦争中にイギリス製品の輸入が止まったため、アメリカ北部を中心に産業、工業が発展した。政治的な独立を果たした革命戦争に対し、米英戦争によってアメリカは経済的な独立を果たしたと言える。

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ナポレオン戦争(1803年[US027]〜1815年[US039])は、イギリスがアミアンの和約を破棄しフランスに対して宣戦布告して勃発(1803年[US027]5月16日)。フランス軍がイギリス、オランダ、プロイセン軍に敗れて崩壊(1815年6月18日、ワーテルローの戦い)し、終結した。

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ニューオリンズの戦いに勝ったのがAndrew Jackson将軍。一躍国民的英雄となり、後にアメリカ第7代大統領(1829年[US053]3月4日〜1837年[US061]3月4日)となった。1814年[US038]8月25日に首都ワシントンD.C.が陥落していたので、Jacksonはアメリカ人の鬱憤を晴らしたようだ。

他国の弱みに付け込むのは戦略の基本である。米英戦争ナポレオン戦争中のイギリスに宣戦布告したという意味では定石通りだったが、甘い見込み(イギリスはアメリカ大陸に戦力を割く余裕はないだろうから、米英戦争は早く終わるだろうと言う見込み)と準備不足でアメリカは苦戦した。アメリカ人はJacksonをヒーローに祭り上げる必要があったのだろうとSynmeは思う。

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なお、ボウヤー砦の戦い(1815年[US039]2月11日)において、約1,000名強のイギリス軍が370名のアメリカ軍守備隊を降伏させた。次のアメリカ本土に対する他国正規軍の攻撃は大日本帝国海軍伊号第一七潜水艦による、カリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所に対する砲撃(アメリカ本土砲撃、1942年[US166]2月24日)だったそうだ。

 

文責:鵄士縦七