Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

アメリカの地政学24:1845テキサス併合

ひきつづきアメリカの地政学としてテキサス併合を学ぶ。Synmeがリストに載せ忘れていたが、革命戦争から米西戦争に至るまでのイベントして重要なので、追加する。最初に、クールにザックリまとめる。

1845年[US069]アメリカがテキサスを併合した。併合にあたり、アメリカはテキサス州とメキシコとの国境をリオ・グランデ川と主張した。メキシコとの対立は決定的になった。

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テキサス併合(1845年[US069]12月29日)は以下のような複雑な手続きにより行われた。外交と内政上の2つの懸念があったことが背景にある。第一に、テキサスを合併すればメキシコとの開戦は不可避であるとの外交上の懸念と、第二に、奴隷制を保持していたテキサスがアメリカに加盟した場合に、上院の新しい2議席は奴隷州側に付くということを、北部の諸州が容認し得ないという内政上の南北対立激化を招く懸念とが背景にあった。

  • 1841年[US065]4月4日 William Henry Harrison第9代大統領が急性肺炎で死去。John Tyler副大統領が昇格、第10代大統領に就任。
  • 1844年[US067]4月 Tyler第10代大統領はテキサス併合の条約を締結
  • 1844年[US067]6月8日 アメリカ合衆国上院は、35対16という大差で、テキサス併合条約を否決。批准ならず。
  • 1844年[US068]11月1日~12月4日 アメリカ大統領選挙。James Knox Polkが当選。
  • 1845年[US069]2月28日 TylerとPolkはテキサス併合に賛成であり、条約(上院での批准が困難と見込まれた)ではなく、上下両院合同決議による併合法案としてテキサス併合を議会に提出した。1845年[US069]2月28日、上院で27対25の僅差、下院では132対76で、選択権を大統領に与えるという決議がなされた。
  • 1845年[US069]3月4日 大統領任期最終日に、Tyler第9代大統領が当該決議を実行する選択を行い署名。同日、Polkが大統領就任。
  • 1845年[US069]7月4日 テキサス共和国は、55対1の圧倒的な票差で、テキサス併合法案を批准。
  • 1845年[US069]12月29日 Polk第10代大統領が、テキサス共和国テキサス州としてアメリカに併合する法案に署名。

Tyler第9代大統領はテキサス合併推進に傾いた直接の理由は、イギリスを介したテキサス共和国のメキシコへの接近の動きが1843年に見られたから。

テキサス併合によってメキシコとの対立は決定的となった。また、国境について、メキシコはアメリカと異なる主張をしていた。結果的に、翌1846年[US070]4月25日に米墨戦争が勃発(~1848年[US072]2月2日)した。

現在のテキサス州がメキシコ領土だったら?と考えると、大統領の決断が正しかったとSynmeは考える。テキサス併合の手順は強引だが、一人機関としての大統領職を置いているアメリカの政治的な強みが発揮された一例と言えるのではないか、とSynmeは思う。

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テキサス共和国(俗称ローン・スター)について少し付け加える。

テキサス共和国(1836年[US060]3月2日〜1845年[US069]12月29日)メキシコのコアウイラ・イ・テハス州のうち現在の米国テキサス州およびその周囲の地域がテハス州として分離、1836年[US060]3月2日に独立した。

1837年にアメリカがテキサス共和国を承認。欧州各国も、1839年にフランス、1840年にオランダとイギリス、1841年にはベルギーがテキサス共和国を承認した。しかし、これらの承認はアメリカがテキサスを併合して領土を拡大することを阻止する目的だった。

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テキサス併合後のアメリカ領土の地図は以下を参照して下さい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E9%A0%98%E5%9C%9F%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7#/media/File:United_States_1845-12-1846-06.png

 

文責:鵄士縦七