Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ロシアの地政学19:1828-1829ロシア・トルコ戦争、アドリアノープル条約

今回はロシアの地政学としての1828-29ロシア・トルコ戦争を学ぶ。ウィーン体制の維持に関わり約10年間のお休みをしていたロシア、戦争再開したと思ったら、イランとトルコ、立て続けに勝利することになる。最初にクールにザックリまとめる。  

ロシアは1828-29ロシア・トルコ戦争に勝利。アドリアノープル条約(1829年[US053])により黒海東海岸の大部分(グルジアジョージア及びアルメニア)とドナウ川河口を獲得し、セルビア公国の自治を再確認させ、ギリシャの自治を承認させた。

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ギリシャ独立戦争(1821年[US047]3月25日〜1832年[US056]6月)から派生した。1827年[US053]10月20日のナヴァリノの海戦でイギリス、フランス、ロシア連合軍艦隊がオスマン帝国艦隊を破るとギリシャの独立は確定的となるが、オスマン帝国がロシア船舶に対してダーダネルス海峡を封鎖したことで第4次ロシア・トルコ戦争(1828年[US052]6月〜1829年[US053]9月14日)が勃発した。

ロシアは1828年[US052]6月にドナウ河を渡河して、ブルガリアのシュメン、ヴァルナ、シリストラの3つの重要な砦を包囲した。9月29日にヴァルナが陥落したが、シュメンを攻略できないままオスマン帝国に補給路を断たれてしまい、冬の到来により一旦ベッサラビアに撤退した。

1829年[US053]2月に再度侵攻して、6月19日にシリストラが陥落した。ロシア軍が8月末にコンスタンチノープルまで68kmの地点まで侵攻するとオスマン帝国は和平を求め、9月14日にアドリアノープル条約が締結された。

アドリアノープル条約によって、オスマン帝国黒海東海岸の大部分とドナウ川河口をロシア帝国に割譲し、セルビア公国の自治を再確認、ギリシャの自治を承認、そして、莫大な賠償金をロシアに支払うまでロシアがモルダヴィアとワラキアを占領することに同意した。

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1806年[US030]ロシア・トルコ戦争勃発。ロシアが勝利し、1812年[US036]ブカレスト条約を調印。ロシアは、ベッサラビアを獲得した。 

 

文責:鵄士縦七