フランスの地政学14:1858-1862インドシナ出兵
フランスの地政学、フランス第二帝政によるアジア植民地化の続きとしてインドシナ出兵を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。
1858年[US082]Napoléon IIIはスペインと共同して艦隊を派遣し阮朝(グェン朝、越南)に侵攻した。1862年[US086]阮朝に勝利しサイゴン条約を締結、フランス第二帝政は、コーチシナ東部3省(ビエンホア省、ジャーディン省、ディントゥアン省)及びプロコンドール島(ニコンソン島)を獲得した。
Napoléon III(Charles Louis-Napoléon Bonaparte)は、アロー戦争(第2次アヘン戦争、1856年[US080]6月28日〜1860年[US084]10月/11月)と並行して、阮朝(グェン朝、越南、1802年[US026]〜1945年[US169]8月30日)にも侵攻した。今回のパートナー(共同出兵国)はスペイン、侵攻を主導したのはNapoléon IIIだった。
キリスト教を禁じることとなった阮朝(グェン朝、越南)がフランス人宣教師及びスペイン人宣教師を各2名処刑すると、Napoléon IIIはキリスト教布教の自由と通商の自由を口実として1858年[US082]8月31日にフランス第二帝政とスペインとの共同艦隊をダナンに派遣した。
ダナンでは 阮朝(グェン朝、越南)の抵抗にあって苦戦したが、翌1859年[US083]にはサイゴンに侵攻・占領。翌1860年[US084]にアロー戦争が終結すると兵力をインドシナ出兵に戦力を集中して、1862年[US086]6月5日に阮朝(グェン朝、越南)とサイゴン条約を締結することに成功した。
サイゴン条約(1862年[US086]6月5日)によって、阮朝(グェン朝、越南)はフランス第二帝政に対し、コーチシナ東部3省(ビエンホア省、ジャーディン省、ディントゥアン省)及びプロコンドール島(ニコンソン島)を割譲した。
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1856年[US080]Napoléon IIIはイギリスの共同出兵の要請に応じてアロー戦争に参戦。1858年[US082]清に勝利して天津条約を締結するが清が批准を拒否。1860年[US084]フランス・イギリス連合軍は北京を占領して北京条約を締結した。
文責:鵄士縦七