Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

フランスの地政学16:1870-1871普仏戦争

Napoléon IIIに関連するフランスの地政学として、今回は普仏戦争を学ぶ。最初にクールにザックリまとめる。 

1870年[US094]Napoléon IIIはプロイセンに宣戦布告して普仏戦争が勃発。Napoléon IIIは捕虜となりフランス第二帝政は崩壊、フランス第三共和政はプロイセンに破れ1871年[US095]フランクフルト講和条約を締結し、アルザス及びロレーヌ北部を失い、賠償金を支払うこととなった。

f:id:synme:20180608005938j:plain

普仏戦争(1870年[US094]7月19日〜1871年[US095]5月10日)について、Napoléon IIIのフランス第二帝政崩壊を中心に簡単に学ぶ。戦争の原因も含めてSynmeは「ドイツの地政学」として別途学ぶ予定。なお、結果としてドイツ第二帝国が成立しイタリアが統一されたことも重要。重要過ぎる。

準備万端のプロイセンに加え、ドイツ諸邦まで敵に回し、準備不足のまま開戦させられたNapoléon IIIは捕虜となってしまう。

1870年[US094]9月2日にNapoléon IIIが捕虜となると、9月4日には共和国宣言がなされ国防政府(臨時政府)が成立してフランス第二帝政は崩壊してしまった。国防政府は戦争を継続するが、1871年[US095]5月10日フランクフルト講和条約を締結し、プロイセンに対するアルザス及びロレーヌ北部の割譲と賠償金50億フランの支払を認めた。

クリミア戦争、アロー戦争そしてインドシナ出兵等で国民の支持を得ていたNapoléon III(Charles Louis-Napoléon Bonaparte)は、メキシコ出兵の敗戦で権威を失墜し、普仏戦争で捕虜となったことでフランス皇帝の地位を失ってしまった。

「ドイツの地政学」で学ぶ予定だが、ドイツ統一を成し遂げたプロイセンの鉄血宰相Otto Eduard Leopold Fürst von Bismarck-SchönhausenとNapoléon IIIでは役者が違ったようだ。

フランス第三共和政は普仏戦争に敗北するが、植民地を獲得して行く。

アジアにおいては、沿海州やトルキスタンで清の領土を北から削り取る一方で、フランス領インドシナを成立(1887年[US111])させてインドシナ半島から清の勢力を南からも削って行くフランスの地政学を続けて学んで行く。

またSynmeは後で学ぶことになるけれど、フランス第三共和政の植民地獲得は並行してアフリカでも大々的に進められていく。

 

文責:鵄士縦七