地政学を学ぶフレームワーク11
Synmeの中ではひきつづきロシアの地政学を中心に学び続けているつもりでいるものの、アジアでのロシアの地政学を学ぼうとすると色々関連してきて面白い。自分の不勉強を改めて実感するばかりだけれど。
日本語でインドシナと言うと、まるでそういう地域が存在するかに聴こえるけれども、あくまで便宜的かつ大雑把な呼称だとSynmeは思う。
ユーラシア大陸の東側を正方形と見立てて縦横に4分割したとイメージすると、右上(第1象限)にチャイナ、左下(第3象限)にインドがある。左上(第4象限)にはヨーロッパから連続するロシアの領土が広がっているわけだ。
残りの右下(第2象限)がインドチャイナ(インドシナ)である。
左下(第3象限)のインドはイギリスが植民地化してイギリス領インド帝国となった。インド帝国はインドチャイナについて、ビルマまで拡大して行く。
左上(第4象限)のロシアは海を求め、陸地伝いに拡大して行くのだが、インド(第3象限)に向かうことはイギリスに阻まれてしまったので、チャイナ(第1象限)を浸食して行くことになる。トルキスタンで領土を拡大すると同時に、第1象限の上側を取り込んでしまった。そして遂に不凍港ウラジオストクを獲得した。
右下(第2象限)のインドチャイナは、フランスが浸食することになる。この地域をまとめてインドとチャイナの間と呼んだわけである。インドチャイナでは、フランス第三共和政が植民地を築くことになる。
ユーラシア大陸の東側は、チャイナ、フランス=インドチャイナ、イギリス=インド、ロシアという4つの勢力範囲に分けられていたわけである。
Synmeの当初予定よりもインドチャイナにおけるフランスの地政学に回数が必要な見通しである。
文責:鵄士縦七