Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

鉄道と運河の地政学05:1891-1901-1904シベリア鉄道の建設・開通

鉄道と運河の地政学、露仏同盟の締結(1894年[US118]1月4日)と関連するシベリア鉄道の建設・開通を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。

1891年[US115]フランス資本の資金援助を受けながら建設開始。1901年[US125]バイカル湖区間を除いて一応の完成、日露戦争中の1904年[US128]9月全線開通した。 

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シベリア鉄道の建設・開通(1891年〜1904年9月)は、言うまでもなくロシアの極東進出政策の一環である。第4象限を押さえ、第1象限の北を押さえ、不凍港ウラジオストクを獲得したロシアとしては、的確な一手だったのかもしれないとSynmeは思う。

そして、明治政府にとってロシアの朝鮮半島南下が最大の脅威であったこと、イギリスの観点からはインドチャイナの侵略を終えたフランスと勢力を増したロシアに極東で挟撃される恐れを生じさせて日英同盟締結(1902年[US126]1月30日)の契機となったこと等、明治ニッポンの外交政策に非常に大きな影響を与えた。 

Synmeが不勉強で知らなかったのだが、1891年に公然化し、1894年に締結に至った露仏同盟がシベリア鉄道建設の資金源であったことが重要である。フランスvs残りの欧州諸国全部という一対多の構図を三国同盟(ドイツ第二帝国、オーストリア・ハンガリー帝国イタリア王国)vs三国協商(イギリス、フランス、ロシア)という対決の構図に変えたのがOtto Eduard von Bismarckの外交手腕及びドイツ皇帝Wilhelm IIの外交的失敗である。

露仏同盟の仮想敵は三国同盟であり、ドイツ第二帝国の成立はニッポンの地政学に間接的に大きな影響を及ぼしていたのである。

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1863年[US087]に建設を始めたアメリカ大陸横断鉄道は1869年[US093]5月カリフォルニア州サクラメントネブラスカ州オマハ間で開通し、既に完成していた東部鉄道網と接続して太平洋から大西洋への鉄道輸送を可能にした。 

 

文責:鵄士縦七