Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

地政学を学ぶフレームワーク13

ドイツの地政学を学んでいるが、ドイツ帝国の統一過程に並走する形で国際情勢に登場し始めているイタリア王国、その前身としてのサルデーニャ王国について簡単にまとめておく。

サルデーニャ王国は第1次イタリア独立戦争ではオーストリアに敗北するものの、クリミア戦争に参戦する等してフランス等と外交関係を築き、1859年[US083]第2次イタリア独立戦争ではフランスと同盟してオーストリアに勝利しロンバルディア地方を獲得。1861年[US085]にイタリア王国を成立させ、ドイツと同盟して普墺戦争に勝利してヴェネト地方を獲得し、普仏戦争に乗じてローマを占領した。

f:id:synme:20180829180922j:plain

サルデーニャ王国によるイタリア統一(Risorgimento)は、フランスのNapoléon III(Charles Louis-Napoléon Bonaparte、在位:1852年12月2日〜1870年9月4日)とプロイセンのOtto von Bismarck(プロイセン首相在位:1862年9月23日〜1872年12月21日、1873年11月9日〜1890年3月18日、ドイツ帝国首相在位:1871年3月21日〜1890年3月20日)との合作だとSynmeは思う。

Risorgimentoを箇条書きにしてみると以下の通り。 

強大な国が近くにある場合、それを利用することも立派な国家戦略なのだと改めて思う。もちろん、形成された国家が盤石かどうかは別に議論しなければならないが... なぜSynmeがこんなことを書くかと言うと、イタリア王国はこの後何かと変節し、第二次世界大戦ではドイツとニッポンもまんまと裏切られているからに他ならない。ただ、それはまた別の機会に学びたい。  

--- 

synme.hatenablog.com

1848年[US072]第1次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争が勃発、プロイセンシュレースヴィヒ公国ホルシュタイン公国を支援して、デンマーク及びスウェーデン義勇軍と戦ったが敗北した。 

--- 

synme.hatenablog.com

Napoléon IIIがオスマン帝国から獲得したキリスト教徒の排他的保護権にロシアが反発。1854年[US078]フランス第二帝政はイギリス、サルデーニャ王国と共にクリミア戦争に参戦・勝利し、1856年[US080]Napoléon IIIの主導でパリ条約を締結。フランス第二帝政は国際関係における発言力を増した。

--- 

synme.hatenablog.com

1866年[US090]普墺戦争が勃発。プロイセンはドイツ連邦を脱退し、イタリア王国と同盟してオーストリア率いるドイツ連邦と戦った。プロイセンは近代兵器などを装備してオーストリアに大勝。ホルシュタイン公国に加えて、ハノーファー王国ヘッセン選帝侯国、ナッサウ公国、フランクフルト自由市を併合して東西プロイセン領を統合することに成功した。

--- 

synme.hatenablog.com

Bismarckはエムス電報事件を図ってNapoléon IIIに宣戦布告させ、1870年[US094]普仏戦争が勃発。プロイセンは、北ドイツ連邦諸邦に加え、バイエルン王国、ヴェルデンベルク王国、バーデン大公国、ヘッセン大公国と共にフランスに勝利した。1871年[US095]フランクフルト講和条約を締結し、アルザス及びロレーヌ北部を獲得した。  

 

文責:鵄士縦七