Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

アメリカの地政学05:1939-1945第二次世界大戦Vol.2

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第二次世界大戦に関するSynmeの備忘として、いくつか記載する。

まず、第二次世界大戦勃発前後のアメリカ国内の状況について学ぶ。具体的には、中立法とレンドリース法の成立、そしてアメリカ第32代大統領Franklin Delano Rooseveltの3選について押さえておく。

次いで、各国の犠牲について考える。

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1935年[US159]〜37年[US161]アメリカ議会は、交戦国への武器輸出や借款を禁止し、非軍事物資に関しても現金取引・自国船運搬に限ることを定めた一連の中立法を成立させた。

アメリカが欧州におけるナチスドイツと英仏の戦争に巻き込まれることを危惧したことが背景。

ドイツにおいて、1933年[US157]1月30日にAdolf Hitlerが首相に任命されていた。同年3月23日に全権委任法(正式名称は「民族および国家の危難を除去するための法律」)が成立して、Hitler内閣にワイマール憲法に拘束されない無制限の立法権を授権した。

同法成立をもって第三帝国ナチスドイツ)が始まっていたので、アメリカ議会が抱いた危惧は具体的なものだったわけだ。

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1940年[US164]11月にFranklin Delano Rooseveltが大統領選に勝利し3選された。3選されたF.Roosevelt大統領の下、アメリカは孤立主義から第二次世界大戦参戦へと大きく舵を切ったのだ。

F.Roosevelt大統領の3つの演説と談話を押さえておく。第1は1937年10月5日の隔離演説で、国際的な「侵略国の隔離」の必要を説くもの。名指しはされなかったが、ナチスドイツ、イタリア、日本を指すと解された。米国内では評価されず、具体的な政策にはいたらなかった。

第2は3選当選後の1940年12月29日の「民主主義の兵器廠」談話で、アメリカの直接の参戦を否定しつつ「われわれは、民主主義の大兵器廠とならなければならない」とナチスドイツ、イタリア、日本への対抗姿勢を明らかにしたもの。炉辺談話(F.Rooseveltが毎週行っていたラジオ演説)の1つである。

第3は屈辱演説で、真珠湾攻撃翌日に日本への宣戦布告を議会に求めたもの。演説冒頭で「屈辱の日」という表現を用いたため、こう呼ばれる。

なお、F.Rooseveltは唯一の4選されたアメリカ大統領である。初代のGeorge Washington大統領が3選を固辞したことに基づく「大統領は2選まで」という慣例を、戦時・有事を理由に破った。F.Rooseveltアメリカ第32代大統領は1933年[US157]3月4日から1945年[US169]4月12日に脳溢血で亡くなるまでの約12年間大統領の職にあった。後にアメリカの憲法が改正され(修正第22条1951年)、正式に大統領は2期までと定められた。

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最後に、第二次世界大戦における各国の犠牲を比較する。3時間半で国際的常識人になれる ゆげ塾の速修戦後史 欧米編p.45によると各国の死傷者数は以下のようになる。ソ連、ドイツ、日本に比較すれば、アメリカの死傷者数は相対的に限られていたことが分かる。

  • ソ連:2,060万人
  • フランス:75万人
  • イギリス:98万人
  • アメリカ:113万人
  • ドイツ:950万人
  • 日本:646万人
  • イタリア:78万人

ドイツ、日本、イタリアは敗戦国であり、本土も戦場となった。戦勝国で見ても降伏したフランス、ナチスドイツの大空襲を受けたイギリスに比べて、アメリカ本土はまったく戦地とならなかった。

死傷者数すなわち人的損失、本土が攻撃にさらされることによる物的損失、どちらの面からもアメリカの払った犠牲は相対的に軽微だったとsynmeは考える。

 

文責:鵄士縦七

 

3時間半で国際的常識人になれる ゆげ塾の速修戦後史 欧米編

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