Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

アメリカの地政学16:1945-1991冷戦Vol.7

ひきつづき、ゆげひろのぶ氏の3時間半で国際的常識人になれる ゆげ塾の速修戦後史 欧米編に【冷戦第三波】を学ぶ。最初に、【冷静第三波】の対立が緩和していく過程についてクールにザックリまとめる。

ソ連は、アフガン侵攻の長期化に財政を圧迫され、Reaganの掲げたスターウォーズ計画(更なる軍拡競争)に対抗する力を有していなかった。Brezhnev、Andropov、Chernenkoが相次いで死去すると、政治経済の改革を目指すGorbachevが書記長に就任した(1985年[US209])。GorbachevはReaganとINF全廃条約を締結、アフガニスタンから撤退、G.H.Bushと冷戦終結を宣言(マルタ会談)したが、東欧革命・ドイツ統一バルト三国再独立等が相次ぎ、1991年[US215]にソ連は崩壊した。

前回までの冷戦:

第二次世界大戦中から燻っていた米ソの対立は、Trumanの原爆投下により決定的となった。Trumanの封じ込め政策・欧州復興計画やチェコスロバキア政変を端緒とするNATO設立により、欧州での対立が高まって行った。アメリカの予想より早いソ連の原爆保有と共産チャイナの成立によりアジアでの東西バランスが崩れた結果として、1950年[US174]朝鮮戦争が勃発した。

Truman不出馬・退任、Stalin死去。EisenhowerとKhrushchevにより、朝鮮戦争および第1次インドシナ戦争は休戦となり、1959年[US183]のKhrushchev訪米に至る。しかし、アメリカの数多くの軍事同盟締結、ワルシャワ条約機構設立など東西陣営の対立の構図は鮮明になっていった。ソ連ICBM発射実験および人工衛星打上げを成功させミサイル開発競争において優位に立った。

Eisenhower在任中のU-2撃墜事件(1960年[US184]5月1日)を機にアメリカとソ連の関係は悪化。J.F.Kennedyが就任するも、キューバ革命東ドイツからの人口流出を背景にJ.F.KennedyとKhrushchevはベルリンとキューバで対立を深めた。ベルリンの壁建設でベルリン危機は回避されたが、キューバ危機(1962年[US186]10月16-28日)勃発により米ソの対立は冷戦第二にして最悪のピークに達した。

キューバ危機を受けて、部分的核実験禁止条約が締結されるなどした。J.F.Kennedyが暗殺され、Johsonは(Eisenhowerが始め、J.F.Kennedyが継続した)ベトナム戦争を拡大したが行き詰まる。Nixonが就任すると、ソ連、中国との緊張緩和を進め、SALT I 妥結(1972年[US196])、ベトナム戦争停戦(1973年[US197])を達成した。 

折角のパリ和平協定調印にも関わらず、アメリカはベトナムを放置。南アジアではベトナムラオスカンボジア共産国家が誕生し、中東でもアフガニスタン共産国家が誕生した。米ソデタントの流れは続いていたが、イラン革命を背景としてイスラム原理主義革命がアフガニスタン経由で飛び火してくることを懸念したソ連のアフガン侵攻(1979年[US203])によって、米ソ対立は第三かつ最後のピークに達した。  

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【冷静第三波】の対立が緩和していく過程に起こった出来事は以下の通り。

1979年12月24日【冷戦第三波TOP】ソ連アフガニスタンに侵攻。明示的に米ソは対立することとなった。新ソ的な新政権を樹立し、半年程度でソ連軍を撤退させる計画だったが、反政府勢力の台頭や活動の活発化などによって治安が急速に悪化。ソ連軍はアフガニスタンに留まり、治安作戦とアフガニスタン政府軍の訓練に従事することとなってしまった。結局、ソ連は1989年2月15日の撤退完了まで9年超という長期間を費やし、戦死者約15,000人という多大な犠牲を払うこととなった。

1980年5月21日 映画『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』が劇場公開

1980年9月22日 イラン・イラク戦争勃発(~1988年8月20日)。原油価格が更に高騰した。

1980年11月4日 現職のCarter大統領を、共和党のReaganが破って当選。

1981年1月20日 アメリカ第40代大統領Reagan就任。同日に、イランアメリカ大使館占拠事件(1979年11月4日)の人質が444日振りに解放された。

1982年[US]11月12日 Brezhnev死去により、Andropov書記長就任。病弱であったため、1984年2月9日に死去。

1983年3月23日 Reaganによる戦略防衛構想(Strategic Defense Initiative (SDI)、スターウォーズ計画)演説。衛星軌道上にミサイル衛星やレーザー衛星、早期警戒衛星などを配備、それらと地上の迎撃システムが連携して敵国の大陸間弾道弾(ICBM)を各飛翔段階で迎撃、撃墜し、アメリカ合衆国本土への被害を最小限に留めることを目的にした。

アメリカの軍備はそもそも数の上ではソ連に及ばなかったが、先端技術を保持し続けていた。しかし、1980年代におけるソ連の科学技術の進歩はアメリカとソ連の軍備の質の差も縮めていた。

アメリカが一方的に戦略防衛構想(スターウォーズ計画)を進めることで、ソ連は一層の軍備拡張を強いられることとなった。ただでさえアフガニスタン侵攻の泥沼化に苦しんでいたソ連財政赤字を拡大させた。ゆげ氏によると、史上最も金のかかったヴェトナム戦争よりもはるかに大きい予算がこのスターウォーズ計画に投入された(3時間半で国際的常識人になれる ゆげ塾の速修戦後史 欧米編p.218)。

1984年[US]2月13日 Andropov死去により、Chernenko書記長就任。病弱であったため、1985年3月10日に死去。

1984年11月6日 Reagan大統領再選。

1985年3月11日 Gorbachev書記長就任。停滞していたソ連の政治経済の抜本的改革を目指しペレストロイカ(改革)を推進した。

1986年1月28日 アメリカのスペースシャトルチャレンジャー号が射ち上げから73秒後に分解し、7名の乗組員が死亡した(チャレンジャー号爆発事故)。結果、シャトルの打ち上げは中断された。ディスカバリー号が打ち上げられたのは1988年9月29日午前11時37分だった。

1986年4月26日1時23分 ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉が炉心融解メルトダウン)の後に爆発した。この事故の結果、グラスノスチ(情報公開)が進展。

1987年12月8日 アメリカとソ連が中距離核戦力(Intermediate-Range Nuclear Forces)全廃条約調印。射程が500〜5,500kmの範囲の核弾頭、及び通常弾頭を搭載した地上発射型の弾道ミサイルと巡航ミサイルの廃棄を求める内容。条約が定める期限である1991年6月1日までに合計で2,692基の兵器が破壊された。内訳はアメリカ合衆国が846基、ソビエト連邦が1,846基である。またこの条約の下では両方の国家は、互いの軍隊の装備を査察することを許された。

1988年3月 Gorbachevが新ベオグラード宣言を発表。従来のBrezhnev Doctrine(制限主権論)を否定して東欧諸国の自立、民主化を容認。

1988年4月14日 アフガニスタンパキスタンソ連、アメリカの4カ国が、「アフガニスタンに関係する事態の調停のための相互関係に関する協定(ジュネーヴ協定)」に署名(5月15日発効)。ソ連軍の半数が1988年8月15日までに撤退し、それより9ヶ月以内に全部隊の撤退が完了することが決定される。 

1988年11月8日 アメリカ大統領選で、現職副大統領であったG.H.BushがReagan政策の継承を掲げて当選。

1989年2月15日 ソ連軍のアフガニスタンからの完全撤退が完了。 

1989年6月18日 普通選挙実施により、ポーランド第三共和国成立。

1989年10月23日 ハンガリー共和国憲法施行により、ハンガリー第三共和国成立。

1989年11月9日 ベルリンの壁崩壊

1989年11月17日 チェコスロバキア社会主義共和国で共産党支配を倒す民主化革命(ビロード革命)勃発。

1989年12月2日〜3日 マルタ島で行われたアメリカとソ連の首脳会談。冷戦の終結を宣言したが、特に何の合意もされなかった。

1989年12月25日 ルーマニア成立。ルーマニア共産党の最高指導者であったNicolae Ceaușescu大統領夫妻が処刑され、ルーマニア社会主義共和国崩壊。

1990年3月11日 リトアニアソ連からの分離・独立を宣言。

1990年5月4日 ラトビアソ連からの分離・独立を宣言。

1990年10月3日 東西ドイツ統一

1991年8月19日 ソ連8月クーデター(ロシア8月革命)勃発。改革派のGorbachevに対し、守旧派が起こしたクーデター。しかし、Boris Yeltsinを中心とした市民の抵抗により失敗に終わった。

1991年8月20日 エストニア共和国ソ連からの分離・独立を宣言。リトアニアラトビアも再独立。

1991年[US215]12月25日【冷戦第三波BOTTOM】ソビエト連邦崩壊。これにより、1917年11月7日のロシア革命十月革命)からロシア内戦を経て1922年12月30日に成立したソビエト連邦は、69年後のクリスマスに崩壊した。

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冷戦第三波に関与したのは、Nixon、Ford、Carter、Reagan、G.H.Bushの5人の大統領だ。

  • Richard Milhous Nixon第37代大統領(1969年[US193]1月20日〜1974年[US198]8月9日)
  • Gerald Rudolph Ford第38代大統領(1974年[US198]8月9日〜1977年[US201]1月20日)
  • James Earl Carter Jr.第39代大統領(1977年[US201]1月20日〜1981年[US205]1月20日)
  • Ronald Wilson Reagan第40代大統領(1981年[US205]1月20日〜1989年[US213]1月20日)
  • George Hebert Bush第41代大統領(1989年[US213]1月20日〜1993年[US217]1月20日)

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冷戦第三波に関与したソ連の書記長は以下の通り。

  • Leonid Il'ich Brezhnev書記長(1964年[US]10月14日〜1982年[US]11月10日)
  • Yurii Vladimirovich Andropov書記長(1982年[US]11月12日〜1984年[US]2月9日)
  • Konstantin Ustinovich Chernenko書記長(1984年[US]2月13日〜1985年[US]3月10日)
  • Mikhail Sergeevich Gorbachev書記長(1985年[US]3月11日〜1991年[US]8月24日)

 

文責:鵄士縦七 

 

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