Synmeの地政学がくしゅう帳

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ロシアの地政学02:1768-1774ロシア・トルコ戦争、キュチュク・カイナルジ条約

ロシアの地政学高橋洋一氏の世界のニュースがわかる! 図解地政学入門に学ぶ。まずは1768-1774ロシア・トルコ戦争(キュチュク・カイナルジ条約)。最初に、クールにザックリまとめる。 

1768年[bUS008]ロシア・トルコ戦争勃発。ロシアが勝利し、1774年[bUS002]キュチュク・カイナルジ条約を調印。ロシアは、アゾフ海の支配権を確立した上、ボスポラス海峡ダーダネルス海峡の商船通行権を獲得した。

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1762年[bUS014]10月3日に戴冠したYekaterina II、まずはトルコ(オスマン帝国)に勝利した。

コリーイの乱の一部がオスマン帝国に侵入したことにより、1768年[bUS008]オスマン帝国が宣戦してロシア・トルコ戦争勃発。コリーイの乱とは、ポーランド・リトアニア共和国が支配した右岸ウクライナで起きたウクライナ人による武装蜂起である。ウクライナ人の蜂起軍はハイダマーカと呼ばれる。

ロシアが勝利し、1774年[bUS002]7月21日キュチュク・カイナルジ条約を調印。ロシアは、クリム・ハン国の保護権を獲得、ブグ川とドニエプル川のあいだの地域を割譲して、アゾフ海の支配権を確立した。加えて、ロシアはボスポラス海峡ダーダネルス海峡の商船通行権、黒海艦隊の建造権を得た。また、黒海カスピ海の間の一部地域も割譲した。

ボスポラス海峡ダーダネルス海峡は、黒海からマルマラ海、そしてエーゲ海、地中海へと至る海峡だ。黒海方面の南下起点としてのアゾフ海をがっちり確保した上で、地中海へ抜ける海峡を自由に航行できるようになったわけで、ロシアは大幅な勢力拡大に成功したと評価すべきである。

さらに、オスマン帝国は、帝国内に住む正教会信徒の保護権をロシアに与えた。ロシアは、これ以降トルコ(オスマン帝国支配下の諸民族の独立要求をバルカン半島進出(すなわちオスマン帝国に対する内政干渉)の口実として利用することになる。

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オスマン帝国は、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国。15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノポリスを征服、この都市を自らの首都(イスタンブール)とした。17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナハンガリーチェコスロバキアに至る広大な領域に及んだ。
アナトリア小アジア)の片隅に生まれた小君侯国から発展したイスラム王朝であるオスマン朝は、やがて東ローマ帝国などの東ヨーロッパキリスト教諸国、マムルーク朝などの西アジア北アフリカイスラム教諸国を征服して地中海世界の過半を覆い尽くす世界帝国たるオスマン帝国へと発展した。オスマン帝国は中央同盟国として第一次世界大戦に参戦し敗れた。1924年[US148]アナトリアトルコ共和国に取って代わられた。

 

文責:鵄士縦七

 

世界のニュースがわかる! 図解地政学入門

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