Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ロシアの地政学20:1832コンスタンティノープル条約

ひきつづきロシアの地政学を学ぶ。今回はコンスタンティノープル条約。最初に、クールにザックリまとめる。

1832年[US056]コンスタンティノープル条約によりギリシャ王国の完全独立がロシア、イギリス、フランス、オスマン帝国の間で正式に承認された。ロシアはギリシャ王国を保護国とすることはできなかった。

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コンスタンティノープル条約は、1832年[US056]7月9日、ロシア、イギリス、フランスとオスマン帝国の間で締結され、ギリシャ王国の独立が正式に承認された。オスマン帝国は40,000,000ピアストルの補償金を得ることを条件にギリシャの独立に同意した。

たしかに、 ギリシャ独立戦争(1821年[US047]3月25日〜1832年[US056]6月)の勝利を確定的なものにしたのは1827年[US053]10月20日のナヴァリノの海戦であり、オスマン帝国艦隊を破ったのは、イギリス、フランス、ロシアの連合軍艦隊であった。

しかし、第4次ロシア・トルコ戦争(1828年[US052]6月〜1829年[US053]9月14日)に勝利してギリシアの自治をオスマン帝国に認めさせたのはロシアである。Synmeが思うに、ロシアとしてはギリシャ保護国化できると考えていたのではないだろうか。

イギリスがギリシャ王国を形式上は完全に独立させ、事実上イギリス、フランス、ロシア3国の保護国としたのは、ロシアの影響力を最低限に留めるためであった。地中海への海の出口であるダーダネルス海峡ボスポラス海峡を巡って、戦争に勝ち続けるロシアと外交力で対抗するイギリスという構図がしばらく続く。

 

文責:鵄士縦七