Synmeの地政学がくしゅう帳

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ロシアの地政学24:1853-1856クリミア戦争(ロシア・トルコ戦争)、パリ条約

ひきつづきロシアの地政学高橋洋一氏の世界のニュースがわかる! 図解地政学入門に学ぶ。今回はクリミア戦争。これは、1853年〜1856年に行われたロシア・トルコ戦争。通常、クリミア戦争と呼ばれる。ナイチンゲールで有名だ。最初に、クールにザックリまとめる。

1853年[US077]フランスとイギリスの支援を取り付けたオスマン帝国がロシアに宣戦布告して、クリミア戦争が勃発した。ロシアはフランス第二帝政オスマン帝国、イギリス及びサルディーニャの同盟軍に敗北。1856年[US080]にパリ条約が締結され、1840年ロンドン条約の内容が再確認された。

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クリミア戦争(ロシア・トルコ戦争、1853年[US077]3月28日〜1856年[US080]3月30日)について世界のニュースがわかる! 図解地政学入門では下記のように記載している。

もとは、断続的に続いているロシア・トルコ戦争の一環。主戦場となった半島名をとり、クリミア戦争と呼ばれる。ロシア帝国とフランス、イギリス、オスマン帝国の同盟国が戦った、近代史上稀に見る大規模な戦争。ロシアが講和に応じた。 

キュチュク・カイナルジ条約(1774年[bUS002])において、オスマン帝国は帝国内に住む正教会信徒の保護権をロシアに与えていた。今回、ロシアはオスマン帝国内のギリシャ正教会信徒の保護を理由に開戦に踏み切ったが、オスマン帝国がイギリスとフランス第二帝政の支援を取り付けて宣戦布告をする苦しい展開となってしまった。

領土争いという意味では痛み分けと言っていい内容だったが、ロシアにとっては転機となる敗戦であった。この敗戦の教訓を活かして、次のトルコとの戦争(1877-1878ロシア・トルコ戦争(1877年[US101]4月24日〜1878年[US102]3月3日)でロシアは大勝利を納めることになるのだが... 続きは次回に学ぶ。

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第2次トルコ・エジプト戦争(1839年[US063]〜1840年[US064])の講和条約として、ロシアとイギリスがオーストリアプロイセン立ち会いのもと合意した1840年ロンドン条約では、ロシア艦隊にダーダネルス海峡およびボスポラス海峡の独占的航海権を与えたウンキャル・スケレッシ条約(1833年[US057]7月8日)が破棄され、ダーダネルス海峡およびボスポラス海峡の外国船通行が全面的に禁止されていた。

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1768年[bUS008]ロシア・トルコ戦争勃発。ロシアが勝利し、1774年[bUS002]キュチュク・カイナルジ条約を調印。ロシアは、アゾフ海の支配権を確立した上、ボスポラス海峡ダーダネルス海峡の商船通行権を獲得した。

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世界のニュースがわかる! 図解地政学入門

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文責:鵄士縦七