地政学を学ぶフレームワーク09
ロシアの南下政策がバルカン半島でもアフガニスタンでも阻まれたところまできた。時間が前後するが、ロシアの地政学の次回からはアロー戦争(第2次アヘン戦争、1856年[US080]6月28日〜1860年[US084]10月/11月)を皮切りにアジアにおけるロシアの地政学4つを学んで行く予定である。
- アロー戦争(第2次アヘン戦争、1856年[US080]6月28日〜1860年[US084]10月/11月)
- アイグン条約(1858年[US082]5月28日)
- 三国干渉(1895年[US119]4月23日、日清戦争/下関条約(1894年7月25日〜1895年4月17日)
- 日露戦争(1904年[US128]2月8日〜1905年[US129]9月5日)
ロシアの地政学を学んでいる途中だけれど、Synmeは2つほど回り道する必要性を感じている。1つはアジアにおけるイギリスの地政学、もう1つはNapoléon III(Charles Louis-Napoléon Bonaparte)関連のフランスの地政学である。
アジアにおけるイギリスの地政学としては、以下の4つを学ぶ予定。元々ロシアの地政学を学んだ後にイギリスの地政学を学ぶ予定だが、The Great Game(第1期は1813年[US037]〜1907年[US131])との兼ね合いでいくつか先に学ぶことにする。
- アヘン戦争(1839年[US063]11月3日〜1842年[US066]8月29日)
- アロー戦争(第2次アヘン戦争、1856年[US080]6月28日〜1860年[US084]10月/11月)
- イギリス領インド帝国成立(1858年[US082]8月2日、1877年[US101]1月1日)
- 日英同盟(1902年[US126]1月30日)
Napoléon III関連のフランスの地政学としては、以下の8つを学ぶ予定。クリミア戦争とアロー戦争の関連で、Synmeは学ぶ必要性を感じた。ウィーン体制の崩壊後に台頭して来るプロイセンの絡みも出て来るし。
Charles Louis-Napoléon Bonaparteは、二月革命(1848年[US072]2月23日〜12月2日)によって成立したフランス第二共和政下で行われた12月の選挙で大統領に選ばれた。1851年[US075]に国民議会に対するクーデタを起こし、独裁権力を掌握。1852年[US076]12月2日に国民投票の上で皇帝に即位(〜1870年[US094]9月4日)してNapoléon IIIとなり、フランス第二帝政を開始した。
- アルジェリア侵略(1830年[US054]〜1847年[US071])
- クリミア戦争(ロシア・トルコ戦争(1853-6)、1853年[US077]3月28日〜1856年[US080]3月30日)
- アロー戦争(第2次アヘン戦争、1856年[US080]6月28日〜1860年[US084]10月/11月)
- インドシナ出兵(1858年[US082]〜1862年[US086]6月5日、サイゴン条約)
- メキシコ出兵(1861年[US085]12月8日〜1867年[US091]6月21日)
- 普仏戦争(1870年[US094]7月19日〜1871年[US095]5月10日)
- 清仏戦争(1883年[US107]8月20日〜1885年[US109]6月9日、天津条約)
- フランス領インドシナ成立(1887年[US111]10月17日、1899年[US123]4月15日)
文責:鵄士縦七