フランスの地政学11:1830-1847アルジェリア侵略
さて、Napoléon III(Charles Louis-Napoléon Bonaparte)に関連するフランスの地政学を学ぶ。今回はNapoléon IIIすなわちフランス第二帝政が成立する直前に始まったアルジェリア侵略を学ぶ。最初にクールにザックリまとめる。
フランス復古王政末期の1830年[US054]6月に始まったアルジェリア侵略は七月王政にも引き継がれ、1847年[US071]アブド・アルカーディルの降伏をもって侵略は完了した。
Synmeは不勉強で知らなかったが、アルジェリア(地図参照)は1847年[US071]から1962年[US186]までの約120年間フランスの一部だった。言い方を換えれば、近代・現代においてフランスという国は地中海を内海として欧州大陸と北アフリカの両岸に領土を有する国として存在したのだ。現在のフランスは領土が約半分、欧州大陸のみに押し込められてしまった状態と言っても良いとSynmeは感じる。
さて、まずはフランス第一帝政崩壊後のフランスの歴史を簡単に学ぶ必要がある。1814年[US038]4月6日Napoléon Bonaparteが第六次対仏大同盟に敗れ退位するとフランス復古王政が始まった。
フランス復古王政は、Napoléon Bonaparteがエルバ島を脱出し第七次対仏大同盟に敗れるまでの間の亡命政権時代を含めて1830年[US054]まで続いた。アルジェリア侵略はフランス復古王政末期に国民の目を海外に向けよう(国民の不満を海外に逸らそう)と始められた「政策」であった。
1830年[US054]6月14日にフランス復古王政がフランス軍のアルジェリア上陸を成功させたが、7月29日には七月革命が起こり七月王政が成立した。七月王政もアルジェリア侵略を継続。1832年[US056]からアブド・アルカーディル(عبدالقادر الجزائري)の武装抵抗がされたが、1847年[US071]には降伏した。
二月革命(1848年[US072]2月23日〜12月2日)によってフランス第二共和政が成立。Napoléon III(Charles Louis-Napoléon Bonaparte)は12月の選挙で大統領に選ばれた。
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1848年革命とは、1848年[US072]から1849年[US073]にかけて起こったウィーン体制の崩壊を招いた革命。「諸国民の春」ともいう。
フランスでは二月革命(1848年[US072]2月23日〜12月2日)によってフランス第二共和政が成立。Napoléon III(Charles Louis-Napoléon Bonaparte)は12月の選挙で大統領に選ばれた。
オーストリアでは三月革命によって宰相メッテルニヒや皇帝一家が亡命する事態となったが反革命派が巻き返した。ドイツ連邦は復活(オルミュッツ協定、1850年[US074]11月29日)、1851年[US075]12月31日には完全に旧体制に復帰した(新絶対主義)。
プロイセンでは第1次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争が勃発、シュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国を巡って、デンマークと戦い敗北した。
文責:鵄士縦七