Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

鉄道と運河の地政学02:1858-1869スエズ運河の建設・開通

鉄道と運河の地政学、次はスエズ運河の建設と開通を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。

1859年[US083]フランス第二帝政とエジプトはスエズ運河の建設を開始し、1869年[US093]11月に開通地中海から紅海への船舶輸送を可能にした。

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フランス第二帝政の外交官・実業家のフェルディナン・ド・レセップス(Ferdinand de Lesseps)は、ムハンマド・アリー朝エジプト総督サイード・パシャ(Said Pasha)からスエズ運河会社設立の利権と運河開設から99年間の事業権を獲得した。

1858年[US082]12月15日にスエズ運河会社を設立。エジプトの宗主国であるオスマン帝国からの承認は得られぬまま、1859年[US083]4月25日に試験掘削という名目で着工された。

イギリスの反対・妨害に遭いながらもNapoléon IIIの仲裁により工事は継続され、1869年[US093]11月17日に開通した。 同年5月に開通したアメリカ大陸横断鉄道と合わせて、人々が世界一周に要する時間は大幅に短縮された。

反対していたものの、開通後のスエズ運河を最も航行したのはイギリスの船舶であった。

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第2次トルコ・エジプト戦争(1839年[US063]〜1840年[US064])は、エジプト・シリアの世襲統治権を要求するムハンマド・アリー宗主国オスマン帝国の間で行われた。ロシア、イギリス、フランス第二帝政の妥協がなされ、エジプトは名目的にはオスマン帝国の宗属関係にとどめおかれたと同時に、エジプト・スーダンにおけるムハマンド・アリーの世襲支配権(ムハンマド・アリー朝)が認められた。 

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1841年[US065]ロシア、イギリス、オーストリア及びプロイセンフランス第二帝政を加えて締結されたロンドン条約(五国海峡条約)によりダーダネルス海峡およびボスポラス海峡の外国船通行が全面禁止された。

 

 

文責:鵄士縦七