Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

フランスの地政学18:1883トンキン戦争、1883第1次ユエ条約、1884第2次ユエ条約

フランス第三共和政によるフランス領インドシナ形成の一環として、トンキン戦争を学ぶ。最初にクールにザックリまとめる。

1882年[US106]フランス第三共和政阮朝(グェン朝、越南)に侵攻した(トンキン戦争)。1883年[US107]に第1次フエ条約、1884年[US108]第2次フエ条約を締結して、コーチシナ植民地を拡大し、トンキン地方を拡大・保護領とし、アンナンの領土を認めて阮朝保護国とした

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阮朝(グェン朝、越南)の保護国化と言うとシンプルだが、フランスによるベトナム植民地化は下記のように進展した。

そもそもNapoléon III(Charles Louis-Napoléon Bonaparte)すなわちフランス第二帝政は、インドシナ出兵(1858年[US082]8月31日〜1862年[US086]6月5日)によりコーチシナ東部3省(ビエンホア省、ジャーディン省、ディントゥアン省)及びプロコンドール島(ニコンソン島)を獲得していた。

第1次フエ条約(1883年[US107]8月25日)によって、アンナン南部のビントゥアンを割譲してコーチシナ植民地に加えること、アンナン北部のタインホア、ゲアン、ハティンの3省をトンキンに編入した上でトンキンをフランス第三共和政保護領とすること、アンナンを保護国とすること(関税、土木についてはフランス第三共和政が統括すること)が定められた。

第2次フエ条約(1884年[US108]6月6日)によって、アンナンの外交権もフランス第三共和政が統括することが定められ、アンナンの保護国化が完成した。

 

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1858年[US082]Napoléon IIIはスペインと共同して艦隊を派遣し阮朝(グェン朝、越南)に侵攻した。1862年[US086]阮朝に勝利しサイゴン条約を締結、フランス第二帝政は、コーチシナ東部3省(ビエンホア省、ジャーディン省、ディントゥアン省)及びプロコンドール島(ニコンソン島)を獲得した。

 

文責:鵄士縦七