Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ドイツの地政学09:1870北ドイツ連邦の成立

ドイツ帝国すなわちプロイセン王国地政学、今回は北ドイツ連邦の成立を学ぶ。事実だけ記載する。

プラハ条約に基づき、1867年[US091]北ドイツ連邦が発足し、プロイセンが連邦主席となった。

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プラハ条約(1866年[US090]8月23日)の定めに従い、1867年[US091]4月26日に北ドイツ連邦が成立した。

同じくプラハ条約の定めに従い、バイエルン王国、ヴェルデンベルク王国、バーデン大公国、ヘッセン大公国の南部領地(シュタルケンブルク、ライン・ヘッセン)は南ドイツ連邦の成立を予定しており、北ドイツ連邦には参加しなかった。

連邦主席はプロイセン国王が務め、Otto von Bismarckが宰相を務めた。バイエルン王国をはじめとするいくつかの領邦は未参加のままだったが、オーストリアドイツ統一から除外された。

Otto von Bismarckの思惑通り、プロイセン王国中心のドイツ統一がいよいよ具体的になって来たが、南ドイツの統合のためにフランスとの戦争が必要だった。

そもそも、ドイツ統一戦争の締め括りが普墺戦争なら分かるが、なぜ普仏戦争なのか?というのがSynmeの疑問だった。しかし、オーストリアを追い出すことには成功したものの、バイエルン王国など南ドイツ諸邦は普墺戦争プロイセンと戦っているのだ。オーストリアだけを除いた『Newドイツ連邦』にホイホイと参加するわけもなく、またプロイセンを盟主と仰ぐことも叶わないわけである。このようなときの定石として、外国に戦争を仕掛けさせてナショナリズムを仰ぐという手がある。どうやら普仏戦争はその手だった様だ。次回に学ぶ。

 

文責:鵄士縦七