Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ニッポンの開国08:1844オランダ国書

ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程を学ぶ。今回はオランダ国王ウィルヘルム2世からの国書。最初に事実だけ。

1844年[US068]アヘン戦争の後、ネーデルラント王国(オランダ)国王ウィルヘルム2世から開国を促す国書が届いたが、翌年幕府は拒絶した。 

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ご存知の通り、オランダは出島での交易を認められていた。

このオランダ、実は19世紀に本国は激動の時代を迎えていた。フランス革命のとばっちりを受けて、1793年にフランス軍に占領されるとネーデルラント連邦共和国(1580年[bUS196]〜)が滅亡し、バタヴィア共和国(1795年[US019]1月19日〜)が樹立されフランスの衛星国となり、Napoléonが皇帝となるとその弟が王となりホラント王国(1806年6月5日〜)としてフランス人統治の衛星国となり、Napoléonが敗れるとウィーン会議(1815年[US039])でネーデルラント連合王国が成立した。

そして、ベルギーの独立(1830年[US054]12月20日)を経て、この国書を送ってくれている頃はネーデルラント王国である。

この国書、日本の開国を促すために運動していたシーボルトが起草したのだそうだ。

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1839年[US063]イギリスは阿片取り締まりに対抗して開戦。1842年[US066]清に勝利して南京条約を締結。イギリスは香港島を獲得。清は広州、福州、廈門、寧波、上海の5港を開港させられた。 

 

文責:鵄士縦七