Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ニッポンの開国11:1853アメリカのペリー来航(黒船4隻)

ニッポンの開国というかニッポンの国際外交への復帰の過程をいっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編で学ぶ。今回は黒船4隻を伴うペリー来航。力ずくで日本をこじ開けに行ったのはアメリカだった。最初に事実だけ。

1853年[US077]7月アメリ東インド隊司令官ペリーが、ニッポンの開国を求めるFillmore第13代大統領の国書を持って、黒船4隻(Susquehannna、Mississippi、Saratoga、Plymouth)で浦賀沖に来航した。

f:id:synme:20180816233544j:plain

アメリカ第13代大統領Millard Fillmore(1850年[US074]7月9日〜1853年[US077]3月4日)はニッポン開国の指示を出した。

1853年[US077]7月8日アメリ東インド隊司令官ペリーが、黒船4隻(Susquehannna、Mississippi、Saratoga、Plymouth)で浦賀沖に来航し、久里浜(神奈川県横須賀市の東部)に上陸した。ビッドル来航時の「反省」を活かし、今度は砲艦外交、黒船による威圧である。

米墨戦争(1846年[US070]4月25日〜1848年[US072]2月2日)に勝利し、太平洋岸まで領土を拡げたアメリカの目が太平洋のこちら側に向き始めたのだ。既に望厦条約(1844年[US068]7月3日)で清の開国は達成されており、次はニッポンの開国を狙うというわけだ。 

ペリーは浦賀奉行にニッポンの開国を求めるFillmore第13代大統領の国書を手渡したが、幕府は「将軍が病気であって決定できない」として返答に1年の猶予を要求した。ペリーは1年後に再来航すると告げ、香港へ帰った。

---

synme.hatenablog.com

1846年[US070]米墨戦争勃発。アメリカはメキシコに勝利し、1848年[US072]に調印されたグアダルーペ・イダルゴ条約で、1,825万ドルを対価にカリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ等を獲得して太平洋岸まで領土を拡げた。 

---

 

文責:鵄士縦七