Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ニッポンの地政学11:1877西南戦争

ニッポンの地政学、今回は西南戦争を学ぶ。最初に事実だけ。

1877年[US101]下野した西郷隆盛を盟主とする西南戦争が勃発するが鎮圧された。士族による武力反乱は以後起こらなくなった。

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西南戦争(1877年[US101]1月29日〜9月24日)は、西郷隆盛を盟主として、現在の熊本県、宮崎県、大分県、鹿児島県において勃発した士族による武力反乱である。

いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編から引用する。

西郷隆盛桐野利秋らとともに鹿児島に帰り、私学校をつくった。県庁も西郷に協力して、鹿児島は西郷王国の観を呈していた。1877年2月、西郷は私学校生徒や鹿児島・熊本の士族を率いて東上をはかり、谷干城の指揮する熊本鎮台を攻囲した。徴兵による熊本鎮台兵は熊本城を死守し、政府が各地の呼応しようとする動きを未然に鎮圧し、援軍を派遣したので、西郷は敗走し、9月に鹿児島城山で自殺した。

年表で読む明解!日本近現代史から引用する。同書は西郷の心中を「富国強兵・殖産興業に邁進する新政府への反発」及び「あくまで「武」にこだわる」思いの2点と推察している。

西郷は西洋を「見なかった」。岩倉使節団が”西欧ショック”に見舞われていたころ、国内の西郷は、これからは「文・武・農」の時代と信じていたのである。

西南戦争は政府により鎮圧されたが、この内乱により西郷隆盛は自殺した。また、西南戦争中に木戸孝允桂小五郎)は病状を悪化させて死亡した。加えて、翌1878年5月14日に大久保利通が暗殺された。明治維新からたった10年で、維新の三傑が相次いで死んでしまった。

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年表で読む明解!日本近現代史

年表で読む明解!日本近現代史

 

 

文責:鵄士縦七