Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ニッポンの地政学13:1880先島諸島割譲提案と清の拒絶

ニッポンの地政学、今回は先島諸島割譲提案を学ぶ。最初に事実だけ。

1880年[US104]明治ニッポンは琉球王国の帰属について、沖縄本島をニッポン領とし、先島諸島を清領とする先島諸島割譲提案を行ったが、冊封体制維持を望む清が拒絶した。

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沖縄県の歴史 - Wikipediaから引用する。

1880年明治13年)、日本政府は日清修好条規への最恵国待遇条項の追加とひき替えに、沖縄本島を日本領とし先島諸島を清領とする先島諸島割譲案(分島改約案)を提案した。清も一度は応じ仮調印したが、「清は八重山諸島宮古島を望まず、琉球領としたうえで清と冊封関係を維持したままの琉球王国を再興させる」という李鴻章の反対によって妥結にはいたらず、琉球帰属問題も棚上げ状態になった。

先島諸島とは、宮古列島八重山列島尖閣諸島などを指す。当時の明治ニッポンは、沖縄本島のみをニッポン領とし、先島諸島を清領とする妥協案を清に提案していたのだ。

しかし、この時期の清は(少なくとも属国の李氏朝鮮や東夷のニッポンに対しては)未だ強気の姿勢を維持しており、先島諸島という領土の獲得ではなく「冊封体制の維持」を望んだ。結局、外交的な解決を見ることはできず、琉球王国の帰属問題は日清戦争(1894年[US118]8月1日〜1895年[US119]4月17日)の終結を待つことになる。

Synmeが気になるのは、明治ニッポンのマズい外交である。折角、台湾出兵の結果として清及び国際世論も含めて琉球のニッポン帰属を承認させたのに、尖閣諸島を放棄するような提案をするのか... 

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文責:鵄士縦七