Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ニッポンの地政学17:1889大日本帝国憲法公布

ニッポンの地政学、今回は大日本帝国憲法の公布を学ぶ。最初に事実だけ。

1889年[US113]大日本帝国憲法を公布。欧米諸国との不平等条約再交渉のため、ニッポンはアジアで初めて立憲国家となった。

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大日本帝国憲法は、1889年[US113]2月11日に公布、1890年[US114]11月29日に施行された。短期間で停止されたオスマン帝国憲法を除けば実質上のアジア初の近代憲法である。

様々な議論がされている大日本帝国憲法だが、Synmeが考える最重要の3点は以下の通りである。否定や批判をする前に、何はともあれ事実を知るべきである。

  1.  大日本帝国憲法は不平等条約の改正のために制定された。そして、公布から10年後の1899年[US123]に治外法権が撤廃され、1911年[US135]には関税自主権も回復された。
  2. 結果的に、アジアで初めての近代憲法であった。そして、この憲法によってニッポンは立憲国家となったのは事実である。
  3. 伊藤博文が責任者であり、「首相」も「内閣」もないという欠陥を含む内容であったのも事実である。ただし、当時の明治ニッポンの内政状況も勘案した評価をすべきである。

いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編から引用する。

(略)1889(明治22)年2月11日、天皇がみずから制定して国民に与える欽定憲法として、大日本帝国憲法が公布された。

(中略)

大日本帝国憲法では、天皇が統治権をもつとされ、天皇の権限はきわめて大きく、国民の権利は制限された。貴族院と衆議院よりなる帝国議会の設置も規定されたが、緊急勅令の規定などによって、その立法権も制限された。それでも、憲法制定によって天皇の権限も無制限のものではなくなり、日本においても、ここに立憲政体が確立したのだった。

年表で読む明解!日本近現代史から引用する。

 中でも、関税自主権の剥奪(輸入品に書ける関税を日本が決められない)と、治外法権(国内で犯罪をおこしした外国人を日本人が裁けない)は、日本の財政と治安に暗い影を投げかけていた。

 このような条項の根底には、「自国の憲法すら確立していない野蛮な有色人種国・日本」というイメージがあった。だから、不平等条約を改正するには憲法制定が先決とされたのである。

(中略)

 今から見れば重大な欠陥を孕んではいるものの、この憲法によって、日本は名実ともに独立国家になったのである。

 

文責:鵄士縦七