ニッポンの地政学27:1898.4.22福建省不割譲条約の締結
ひきつづき、Synmeはチャイナ分割(瓜分)を学んでいく。今回はニッポンによる福建省不割譲を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。
1898年[US122]4月22日ニッポンは清と福建省不割譲条約を締結し、台湾の対岸が欧州列強の租借地となることを未然に防いだ。
日清戦争に勝利したニッポンは馬関条約(1895年[US119]4月17日)で台湾を割譲し、11月中旬までに平定(台湾平定(乙未戦争)、1895年5月29日〜11月18日)していた。
1898年[US122]4月22日ニッポンは清と福建省不割譲条約を締結することに成功した。福建省は台湾の対岸である。
ニッポンは欧州列強とは異なり、この時点で租借する程の政治力も軍事力も持ち合わせていなかったが、台湾の対岸を欧州列強の租借地とすることだけは免れたようだ。
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1894年[US118]7月25日、ニッポンと清の間に日清戦争が勃発した。ニッポンが勝利し、翌1895年[US119]4月17日に馬関条約を締結。ニッポンは、清に李氏朝鮮の独立を承認させ、台湾、澎湖諸島、遼東半島を割譲させ、巨額の賠償金を支払わせた。
割譲されたにもかかわらず台湾民主国の独立が宣言されるなどしたため、1895年[US119]5月から11月にかけてニッポンは台湾を平定した(乙未戦争)。
文責:鵄士縦七