Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

地政学を学ぶフレームワーク15

ここのところ、Synmeはチャイナ分割(瓜分)を学んでいる。日清戦争以降で学んだ項目を列挙してみると以下の通りである。

  1. ニッポンの地政学19:1894.7.25-1895.4.17日清戦争、馬関条約
  2. ロシアの地政学33:1895.4.23三国干渉
  3. ニッポンの地政学21:1895.11.8遼東還付条約
  4. ニッポンの地政学22:1895.5.29-11.18台湾平定(乙未戦争)
  5. ロシアの地政学34:1896.6.3露清密約、東清鉄道敷設権の獲得
  6. ニッポンの地政学25:1896.7.21日清通商航海条約の締結
  7. ドイツの地政学18:1897.11.14膠州湾の占領
  8. ドイツの地政学19:1898.3.6膠州湾の租借、山東鉄道敷設権の獲得
  9. ロシアの地政学35:1898.3.15(or27)旅順(Port Arthur)・大連租借
  10. イギリスの地政学06:1898.3.28/7.1威海衛(Port Edward)租借
  11. フランスの地政学26:1898.4.10広州湾(Fort-Bayard)租借
  12. 日本の地政学27:1898.4.22福建省不割譲条約の締結
  13. イギリスの地政学07:1898.6.9/7.1新界(九龍半島北部)租借

そう、「アメリカがいない」のである。その辺りを簡単にまとめて、この後に学ぶチャイナ分割(瓜分)に関連するアメリカの地政学の予習(同時に、だいぶ前に学んだことの復習)をしたい。

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まず、以下の記事で学んだ通り、望厦条約(1844年[US068]7月3日)の締結から実に50年以上「アメリカがいない」訳である。いったい何があったのか?

 1844年[US068]イギリスについで、アメリカも清と望厦条約を締結。清は広州、福州、廈門、寧波、上海の5港を開港させられた上、関税自主権を喪失、治外法権を認め、最恵国待遇を与えた。 

 

まず1860年代前半のアメリカは南北戦争(1861年[US085]4月12日〜1865年[US089]4月9日)を戦っていてチャイナどころではなかった訳である。 

 1861年[US085]南北戦争勃発(〜1865年[US089])。4年を超える内戦で約50万人の戦死者を出しながらもアメリカ合衆国(USA)がアメリカ連合国(CSA)に勝利して、国家の統一を保った。

 

そして、Synmeは不勉強で詳細を知らないが、南北戦争を切り抜けた後も、アメリカは大陸横断鉄道の建設(1863年[US087]1月8日〜1896年[US093]5月10日)にも表れている西部の開拓と19世紀末まで続くインディアン戦争とに注力していたようだ。

synme.hatenablog.com

1863年[US087]に建設を始めたアメリカ大陸横断鉄道は1869年[US093]5月カリフォルニア州サクラメントとネブラスカ州オマハ間で開通し、既に完成していた東部鉄道網と接続して太平洋から大西洋への鉄道輸送を可能にした。
synme.hatenablog.com

19世紀後半、拡大した領土内において、アメリカはスー族、アパッチ族、ナバホ族などとインディアン戦争を続けていた。19世紀末(例えば、ウンデット・ニーの虐殺は1890年[US114])を境にインディアンによる大規模な抵抗は行われなくなった。 

 

そのアメリカが太平洋に改めて目を向ける転機になったのが、米西戦争(1898年[US122]4月25日〜12月10日) であった。次回から米西戦争以降を学ぶ。

 

文責:鵄士縦七