Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

イギリスの地政学14:1905.8.12第2次日英同盟の締結

日露戦争に関連して、イギリスの地政学を学ぶ。今回は第2次日英同盟の締結。最初に、クールにザックリまとめる。

1905年[US129]8月12日イギリスはニッポンと第2次日英同盟を結び、対象地域にインドを追加すると同時に、本格的な軍事同盟に引き上げた。 

f:id:synme:20190129120220j:plain

日本海海戦(1905年[US129]5月27-28日 )にニッポンが勝利すると、イギリス人も「サムライ、使える!」と思ったようだ。第1次日英同盟の更新期限まで2年もあるのに、日露戦争の終結を待たずに、第2次日英同盟が締結されることになる

1905年[US129]8月12日に締結された第2次日英同盟では、以下が取り決められた。

  • 日英同盟の対象地域について、チャイナ、コリアに加えてインドを追加する
  • ニッポンは、イギリスのインドにおける権益を承認する
  • イギリスは、ニッポンの大韓帝国における権益を承認する
  • 日英同盟を本格的な軍事同盟とする(締結国が他の国1国以上と交戦した場合は、同盟国はこれを助けて参戦するよう義務付ける)
  • 同盟の有効期限を10年間とする

Synmeの想像でしかないが、日露戦争によってニッポンを利用してロシアの極東での南下を防いだイギリスにとっては、再び、インドおよびバルカン半島でのロシアの南下に対処することが急務だったのではないか?

また、日露戦争の終結前の方がニッポンに対して交渉力を発揮できると踏んだのではないかともSynmeは思う。

とにかく、イギリスの外交は見習うべき点が多いようにSynmeは考える。

そして、第2次日英同盟の締結(1905年[US129]8月12日)がどれだけのインパクトを与えたのかSynmeは不勉強で知らないが、ロシアはバルカン半島の南下を志向し、オーストリアひいてはドイツを含む三国同盟と対立することとなり、第1期グレートゲーム(The Great Game、第1期は1813年[US037]〜1907年[US131])への最終コーナーを回ることになる。

 

文責:鵄士縦七