Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ニッポンの地政学48:1910.8.22韓国併合(大韓帝国の併合)

第1期グレートゲーム(The Great Game)終結後のニッポンの地政学を学ぶ。今回は韓国併合、つまりニッポンによる大韓帝国の併合(Japanese annexation of Korea)。最初に、クールにザックリまとめる。 

1910年[US134]8月22日ニッポンは大韓帝国を併合した(〜1945年[US169]9月9日)。

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Synmeは大韓帝国を「併合」する必要はなく、「保護国化」するだけに留めておけば良かったのではないかと考えている。なぜなら、大韓帝国からニッポンが得たいリターンは「大韓帝国皇帝が勝手にロシア(ないしは他の欧米列強)の属国とならないこと」だったのではないか、と考えるからである。輸出市場としての価値もあったかもしれないが併合はmustではないだろう。それに潜在的な市場価値は満州の方が大きかったのではないだろうか?

これに対して、併合に伴うコストは甚大である。まず政治的コストが掛かる。歴史的に海外を巻き込んで激しい政争を行ってきたコリア、当時のニッポンとしても日清戦争以降で懲りていたはずであるのだが…

そして、ウブでナイーブで国際的常識に欠けるニッポン(これは今でもそうだ)は自国の東北地方が飢饉に見舞われている中でも莫大な公共投資をコリアにしていくことになる。つまり、莫大な経済的コストも掛かったわけである。

そう考えると、朝鮮半島の西海岸を満州への安全な陸路として確保することに注力して、「保護国化」で済ませれば良かったのではないかと思うのだ。もちろん、満州やロシアとの国境に陸軍を配置するのも、南樺太に陸軍を配置するのと合わせれば効果的な抑止力となるであろう。不勉強なので、もっと勉強すると色々見えてくるのかもしれない。ただ、不毛な「韓国併合の是非」を論じるよりは、「韓国併合の要否」と「韓国併合のコスト・リターン分析」を論じる方が、現代ニッポンが歴史に学べるのではないかと考える。

 

次に、明治ニッポンの外交手順の観点から学んでおく。結論から言うと、他の列強からクレームも付かず、スムースな併合を実現すべく、しかるべき外交手順を踏んだ、とSynmeは評価している。

まず、アメリカ、イギリス、ロシアから秘密裏に承認を得ている。

  1. 1905年[US129]7月29日 桂・タフト協定の締結
  2. 1905年[US129]8月12日 第2次日英同盟の締結
  3. 1907年[US131]7月30日 第1次日露協約の締結

加えて、並行して実務上必要な手続を踏んでいる。つまり、大韓帝国の外交権を剥奪し(第2次日韓協約)、軍を解散させ(第3次日韓協約、大韓帝国軍の解散)、隣国(清国)との国境を確定(日清協約)させて、韓国併合に備えているのだ。現在の国会議員と官僚に、同じロジスティクスが組めるだろうか…

  1. 1905年[US129]11月17日 第2次日韓協約の締結
  2. 1907年[US131]7月24日 第3次日韓協約の締結
  3. 1907年[US131]8月1日 大韓帝国軍の解散
  4. 1909年[US133]9月4日 日清協約の締結

 

最後に、基本的なことも学んでおこうと思う。

Wikipediaによると、併合(annexation)とは、ある国の領土の全部または一部が、他国の完全な主権(支配)下に置かれること、ということだ。 併合 - Wikipedia

「韓国併合ニ関スル条約」を下記に転載するが、この条約の1条と2条を見ると、韓国併合(1910年[US134]8月22日)とは、大韓帝国皇帝が「大韓帝国の統治権」をニッポンの天皇に譲与し、ニッポンの天皇がこれを受諾し、大韓帝国を日本帝国に併合することを承諾する、ということだ。

  • 第一條 韓國皇帝陛下ハ韓國全部ニ關スル一切ノ統治權ヲ完全且永久ニ日本國皇帝陛下ニ讓與ス
  • 第二條 日本國皇帝陛下ハ前條ニ揭ケタル讓與ヲ受諾シ且全然韓國ヲ日本帝國ニ倂合スルコトヲ承諾ス
  • 第三條 日本國皇帝陛下ハ韓國皇帝陛下、太皇帝陛下、皇太子殿下竝其ノ后妃及後裔ヲシテ各其ノ地位ニ應シ相當ナル尊稱、威嚴及名譽ヲ享有セシメ且之ヲ保持スルニ十分ナル歲費ヲ供給スヘキコトヲ約ス
  • 第四條 日本國皇帝陛下ハ前條以外ノ韓國皇族及其ノ後裔ニ對シ各相當ノ名譽及待遇ヲ享有セシメ且之ヲ維持スルニ必要ナル資金ヲ供與スルコトヲ約ス
  • 第五條 日本國皇帝陛下ハ勳功アル韓人ニシテ特ニ表彰ヲ爲スヲ適當ナリト認メタル者ニ對シ榮爵ヲ授ケ且恩金ヲ與フヘシ
  • 第六條 日本國政府ハ前記倂合ノ結果トシテ全然韓國ノ施政ヲ擔任シ同地ニ施行スル法規ヲ遵守スル韓人ノ身體及財產ニ對シ十分ナル保護ヲ與ヘ且其ノ福利ノ增進ヲ圖ルヘシ
  • 第七條 日本國政府ハ誠意忠實ニ新制度ヲ尊重スル韓人ニシテ相當ノ資格アル者ヲ事情ノ許ス限リ韓國ニ於ケル帝國官吏ニ登用スヘシ
  • 第八條 本條約ハ日本國皇帝陛下及韓國皇帝陛下ノ裁可ヲ經タルモノニシテ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

一応、直接の契機を復習しておくと、1909年[US133]10月26日、初代内閣総理大臣であり、初代韓国統監である伊藤博文がハルビン駅で安重根に暗殺されたことにあった。

韓国併合は1910年[US134]8月22日に始まり、1945年[US169]9月9日に朝鮮総督府が降伏文書に調印して終わったので、約35年間続いたことになる。

 

列強からの承認:

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実務上の手続(参考のため第1次日韓協約及び韓国統監府の設置も含む):

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文責:鵄士縦七