Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ニッポンの地政学50:1911.4.3新・日英通商航海条約の締結

第1期グレートゲーム(The Great Game)終結後のニッポンの地政学を学ぶ。今回は新・日英通商航海条約の締結。最初に、クールにザックリまとめる。 

1911年[US135]4月3日ニッポンは新・日英通商航海条約を署名し、アメリカに次いでイギリスとの間でも関税自主権の完全回復を達成した。

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実は、あまり追加することはない。日露戦争に勝って、国内法も整備していた明治ニッポンにとって、関税自主権の完全回復はMust Winという段階に至っていたのだ。

でも、本当にスゴイことだと思う。白人に植民地化されていない(大東亜戦争に敗戦して、事実上アメリカに当地はされたけれども)国はニッポンだけだが、時間が掛かっているとはいえ不平等条約の改正までこぎつける辺り、(植民地化を免れたのは)偶然・僥倖だけではなかったのだな、(当時の)ニッポンやるな!、と手前味噌ながら言いたくなる。まあ、アメリカで南北戦争が起こっていなかったら、と考えると偶然・僥倖もあると思うが…

とにかく。新・日英通商航海条約(1911年[US135]4月3日署名、同年7月17日発効)は、新・日米通商航海条約(1911年[US135]2月21日署名、同年4月4日発効)に2ヶ月弱遅れて署名された。

日英通商航海条約は1911年[US135]7月16日に失効する取り決めだったので、『ピッタリ更新』されたわけである。

改正の交渉はイギリスから始めた(軍事同盟国だから当たり前だけれど)そうだから、なぜアメリカとの改正が先行したのか、Synmeは不勉強でわかりません… ただのSynmeの想像になってしまうけれど、アメリカとはニッポン人の移民問題も含んでいたので急ぐ理由があったのでは?

いずれにしても、日英通商航海条約(1894年[US118]11月22日署名、1899年[US123]7月17日発効)はニッポンにとって非常に重要な条約なので再掲しておく。

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1894年[US118]7月16日ニッポンとイギリスは日英通商航海条約に署名した。同条約は1899年[US123]に効力発生し、明治ニッポンは治外法権の撤廃を遂に達成した。

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1894年[US118]11月22日ニッポンとアメリカは日米通商航海条約に署名した。同条約は1899年に効力発生し、明治ニッポンはアメリカに対しても治外法権の撤廃に成功した。

 

文責:鵄士縦七