Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

フランスの地政学30:1882.11.30-1910.1.15フランス領赤道アフリカの成立

フランスの地政学を学んで行く。しばらくの間、アフリカ侵略と英仏露三国協商にフォーカスする。 今回はフランス領赤道アフリカの成立。最初に、クールにザックリまとめる。 

1882年[US106]以降、フランスはコンゴからアフリカ侵略を展開し、1910年[US134]フランス領赤道アフリカを成立させた。その領域は、現在のコンゴ共和国、ガボン、中央アフリカ共和国に及んだ。

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フランス領赤道アフリカ(French Equatorial Africa - Wikipedia)は1910年[US134]1月15日フランス領コンゴに成立した。1882年[US106]11月30日に建国されたフランス領コンゴからガボンやウバンギ・シャリ(現在の中央アフリカ共和国)へと拡大していった結果である。

Synmeの調べた印象だと、フランス領西アフリカよりも情報が取りやすかった気がする。以下に時系列で概略をリストアップする。

  • 1882年[US106]11月30日 フランス領コンゴを建国
  • 1884年[US108]11月15日〜1885年[US109]2月26日 ベルリン会議(コンゴ分割)
  • 1885年[US109] ガボンを占領
  • 1891年[US115]12月9日 フランス領コンゴ内に上ウバンギを設置
  • 1900年[US124]9月5日 フランス領コンゴ内に上シャリを設置
  • 1903年[US127]12月29日 ウバンギ・シャリとしてフランス領コンゴから分離
  • 1910年[US134]1月15日 フランス領赤道アフリカが成立

感覚的なものに過ぎないけれど、Synmeとしては以下の様に理解した。コンゴ川沿いのBrazzavilleがベルギー植民地の中心都市Kinshasaと共に発展していくに従い、フランス第三共和政もフランス領コンゴの植民地化を進めていった。その過程で、まずポルトガル植民地ガビンダは避けながらも沿岸部のガボンを植民地化することに成功した。次いで、コンゴ川の支流ウバンギ川に沿って内陸部に進出し、ウバンギ川いのBanguiを中心にして、ウバンギ・シャリつまり現在の中央アフリカ共和国の地域を植民地化することに成功した。そして、コンゴ、ガボン、ウバンギ・シャリからなるフランス領赤道アフリカを成立させた。

なお、忘れないようにメモしておくが第一次世界大戦後にドイツからカメルーンを獲得(回復)し、フランス領西アフリカからチャドを加えたことは別の機会に学ぶ。

一応、「完成形」としてのフランス領赤道アフリカの領域を現在の国でリストアップして、イメージしやすくしておく。

 

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文責:鵄士縦七