Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

フランスの地政学36:1896.1.15シャムとメーコーン上流域に関する英仏宣言

フランスの地政学を学ぶ。しばらくの間、アフリカ侵略と英仏露三国協商にフォーカスする。 今回はシャムとメーコン上流域に関する英仏宣言。最初に、クールにザックリまとめる。 

1896年[US120]1月15日フランス第三共和政はイギリスとシャムとメーコーン上流域に関する英仏宣言を発表してタイを緩衝地帯とした。

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結論から言うと、フランス第三共和政にとっても、イギリスにとってもクレバーな選択だった。

フランス第三共和政としてはアジアでイギリスと対立するわけには行かなかった。イギリス領インド帝国(1858年[US082]8月2日成立、1877年[US101]1月1日Victoria女王が初代インド皇帝戴冠)に強力な陸軍があったということも重要だったろう。しかし、なによりも、本国から遠く離れた植民地同士の争いにはお互いに何のメリットもないからだ。

復習のために、フランス領インドシナ連邦の成立から完成までの流れを再掲する。

  • 1887年[US111]フランス第三共和政はカンボジアとベトナムを領土とするフランス領インドシナ連邦を成立させた。
  • 1888年[US112]フランス第三共和政はシップソーン・チュタイ地方(タイの属国ルアンパバーン王国北東部)を保護領化した
  • 1893年[US117]メコン川東岸の割譲を迫るフランス第三共和政の要求をタイが拒絶して仏泰戦争が勃発。フランス第三共和政はタイに勝利してラオスの宗主権を放棄させ、ラオスを保護国化した。
  • 1896年[US120]1月15日フランス第三共和政はイギリスとシャムとメーコーン上流域に関する英仏宣言を発表してタイを緩衝地帯とした。
  • フランス第三共和政は広州湾を占領し、1898年[US122]4月10日膠州湾を租借する取り決めを清と結んだ。租借条約は5月27日に締結され、租借期間は99年と定められた。
  • 1899年[US123]フランス第三共和政はラオスを編入して、フランス領インドシナ連邦を完成させた。

 

 

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文責:鵄士縦七