フランスの地政学43:1911.7.1第2次モロッコ事件
フランスの地政学を学ぶ。しばらくの間、アフリカ侵略と英仏露三国協商にフォーカスする。 今回は第2次モロッコ事件。最初に、クールにザックリまとめる。
1911年[US135]7月1日ドイツ第二帝国は砲艦パンターをモロッコのアガディールに突如派遣し、内乱鎮圧のために派兵されていたフランス軍を威嚇した(第2次モロッコ事件)。
モロッコ国内で起こった内乱を鎮圧するために派兵されていたフランス第三共和政の軍隊を威嚇するために、ドイツ第2帝国は砲艦パンターを派遣した。
確かに、ドイツ第二帝国はモロッコから手を引く見返りに仏領コンゴの一部(ノイカメルーン)を獲得した。
しかし、ドイツが失ったものは大きかった。外交的孤立である。
この第2次モロッコ事件(1911年[US135]7月1日)は三国協商の結束を試す絶好の機会を英仏露に与えただけでなく、結局のところドイツ第二帝国はモロッコを諦めざるを得なかったのだから、外交的には敗北であろう。
「植民地だから」と言ったら列強間の割譲も当たり前に感じるかもしれないが、第二次世界大戦前のニッポンの外交は、第一世界大戦前のフランスの一連の対ドイツ外交の足元にも及ばないのではないか?
Synmeが思うに、絶対に勝てる状況にない限り開戦を避ける、という冷徹な外交方針の重要性が分かる気がする。感情的な外交ほど国益に反する政治はない。
1905年[US129]3月31日ドイツ第二帝国皇帝Wilhelm IIがモロッコのタンジールを突如訪問してフランス第三共和政によるモロッコ支配を阻止しようとした(第1次モロッコ事件)。
文責:鵄士縦七