Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

チャイナの歴史06:1915.12.25-1916.7.14第三革命(護国戦争)

チャイナの歴史を学ぶ。中華民国(Republic of China, “R.O.C.”)の共和革命の最後、今回は第三革命(護国戦争)。最初にクールにザックリまとめる。

帝政復活に対抗して、南方の軍閥が雲南省の独立を宣言し、袁世凱討伐のため挙兵した。袁世凱は敗北し帝政は取り消された(第三革命(護国戦争、1915年[US139]12月25日〜1916年[US140]7月14日))。しかし、第三革命がチャイナの南北分裂の端緒となった。

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袁世凱(Yuzan Shikai)の中華帝国大皇帝への即位は流石にやりすぎだった様だ。中華帝国(1915年[US139]12月12日〜1916年[US140]3月22日)は第三革命(護国戦争、1915年[US139]12月25日〜1916年[US140]7月14日)によって崩壊し、袁世凱も敗北してまもなく病没してしまう。

意外なのは、この第三革命の主力は孫文(Sun Yat-sen)ではなかったこと。中華革命党は存続しているのだが、孫文は蚊帳の外だったらしい。中華革命党を離脱したグループが中心だった様だ。

要するに、結局は北洋軍閥vs南方軍閥という軍閥同士の図式で、北洋軍閥に南方軍閥を押さえつけておく程の力はなかったということらしい。皇帝になりたい気持ちを抑えられなかった袁世凱が孤立してしまったことも大きいだろうとSynmeは思う。

ということで、ここからチャイナの南北分裂が始まることとなる。

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文責:鵄士縦七