イギリスの地政学18:1878.7.13ベルリン条約/キプロス島の租借
1877-1878ロシア・トルコ戦争の関連でイギリスの地政学を学ぶ。今回は、キプロス島の租借である。最初にクールにザックリまとめる。
1878年[US102]7月13日ベルリン条約とは別に、イギリスはロシアから攻撃された際の援助の見返りにキプロス島を租借する条約をトルコと締結した。
1877-1878ロシア・トルコ戦争(1877年[US101]4月24日〜1878年[US102]3月3日)の結果として、実はイギリスがキプロス島(Cyprus - Wikipedia)を租借すると言う果実を得ていた。
イギリスはロシアから再度の攻撃があった場合にトルコを援助することを見返りとして申し出ているが、トルコにとってメリットがあるのは言うまでもないが、イギリスとしてもトルコを援護することは不可避なのであった。
なぜなら、ロシアが近代化を成し遂げて再びヨーロッパの強国として登場してきた以上、スエズ運河を擁するイギリスとしては、ロシアの地中海進出を許すわけにはいかない状況となっていたからだ。
ともかく、1878ベルリン会議(1878年[US102]6月13日〜7月13日)においてサン・ステファノ条約(1878年[US102]3月3日)が覆されてロシアが外交的敗北を喫している一方で、イギリスは外交的成果を挙げていたわけである。よくあるパターンである。
キプロス島を獲得したイギリスは地中海における戦略上の拠点としてスエズ運河の防衛にキプロス島を活用することができる様になった。
実は現在でもイギリス主権基地領域アクロティリおよびデケリア(Sovereign Base Areas of Akrotiri and Dhekelia)として、イギリスは陸軍駐屯地、空軍基地として活用している。
文責:鵄士縦七