Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ドイツの地政学26:1890.7.1ヘルゴランド=ザンジバル条約

破竹の勢いで植民地帝国の拡大を続けるドイツ第二帝国とイギリスがお互いの植民地に関連する条約を締結した。今回はドイツの地政学として、ヘルゴランド=ザンジバル条約の締結を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。

1890年[US114]7月1日ドイツ第二帝国はイギリスとヘルゴランド=ザンジバル条約を締結。ドイツ第二帝国は、北海のヘルゴランド島およびカプリビ回廊(当時のドイツ領南西アフリカつまり現在のナミビア共和国の東部)を獲得した。加えて、ドイツ領東アフリカ沿岸部(ダルエスサラーム周辺地域)に対する権益を承認させた。

f:id:synme:20190908203353j:plain

1890年[US114]3月18日に辞職したばかりのOtto von Bismarckが、ドイツ領東アフリカの(重要な)一角たりえるザンジバル諸島を北海の(ちっぽけな)ヘルゴランド島と交換した「ドイツ第二帝国の国益に反する」条約締結であった、というキャンペーンを張ったことが誤解しやすい条約の通称の由来だそうだ。

ヘルゴランド島(ヘルゴラント島 - Wikipedia)は、戦略上重要な位置にある。元々イギリスが第六次対仏同盟(ナポレオン戦争)中にデンマークから譲受け、第1次パリ条約(1814年[US038]5月30日)で領有を承認された島であったが、ヘルゴランド=ザンジバル条約によってドイツ第二帝国領となった。
Cf.Heligoland - Wikipedia

カプリビ回廊(カプリビ回廊 - Wikipedia)の獲得によって、ドイツ第二帝国はザンベジ川へのアクセスを得て、ドイツ領南西アフリカからドイツ領東アフリカへと至るルートを確保した。

ダルエスサラーム周辺地域は、後のドイツ領東アフリカの中心地域である。現代においてもダルエスサラームはタンザニア最大の都市であり、かつての首都である。現在の法律上の首都はドドマであるが、実質的な首都機能は依然としてダルエスサラームが担っているようだ。

他に、ドイツ第二帝国は、ドイツ領トーゴランドとイギリス領ゴールドコースト(現在のガーナ)の国境およびドイツ領カメルーンとイギリス領ナイジェリアの国境を確定させた。 

総じて、Bismarckには可哀想だけれど、ドイツ第二帝国にとっても十分に旨みのある条約であるようにSynmeは思う。

 

文責:鵄士縦七