Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

イギリスの地政学22:1890.7.1ザンジバル保護国の成立

今回はイギリスの地政学として、ザンジバル保護国の成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。

1890年[US114]7月1日イギリスはドイツ第二帝国とヘルゴランド=ザンジバル条約を締結して、ザンジバル(ウングジャ島(ザンジバル島)、ペンバ島)に対する権益を承認させると、即日でザンジバル保護国を成立させた。

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ヘルゴランド=ザンジバル条約(1890年[US114]7月1日)でザンジバル(ウングジャ島(ザンジバル島)、ペンバ島) に対する権益をドイツ第二帝国に承認させると、即日、イギリスはザンジバル保護国(ザンジバル保護国 - Wikipedia)の成立を宣言した。

実は、1856年[US080]にザンジバル・スルターン国(ザンジバル・スルターン国 - Wikipedia)がオマーン帝国(アラビア半島沿岸地域、東アフリカ沿岸地域、ザンジバル(ウングジャ島(ザンジバル島)、ペンバ島)及びマダガスカル島北部沿岸地域にまたがる海洋国家。オマーン - Wikipediaブーサイード朝 - Wikipedia)から独立していたようで、イギリスはこのザンジバル・スルターン国を保護国化、ザンジバル保護国を成立させたということのようだ。

イギリスはドイツだけでなく、マダガスカルを諦める(自国の権益を放棄する)ことでフランスからもザンジバル保護国化の承認を取り付けている。

海洋国家として、港湾拠点を重視したその世界戦略(植民地戦略)は非常にスマートな印象を受ける。

まあ、もちろんマダガスカルにとっては「裏切り者」なわけであるが、そのあたりは非常にビジネスライクな訳である。

現代イギリスがEU離脱の交渉中であり、近い将来の日英同盟復活はあり得ない話ではない。Synmeが思うに同盟相手としてニッポンにとってイギリスは非常に良い相手であるし、第二次世界大戦の遠い敗因は日英同盟にアメリカを入れて三国同盟とすることができず、フランス主導で英仏露三国協商+ニッポンという四国同盟が形成されてしまった外交にあるので、日米英三国同盟(ほぼ自動的に+オーストラリア、ニュージーランド)はSynme的には今後のニッポンの外交方針の基軸となるべきと考えている。

が、しかし、イギリスのスマートさとビジネスライクさを歴史に学んでおくべきであると思う。

 

文責:鵄士縦七