Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

ドイツの地政学28:1911.7.1第2次モロッコ事件

ドイツの地政学として、第2次モロッコ事件を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 

1911年[US135]7月1日ドイツ第二帝国は砲艦パンターをモロッコのアガディールに突如派遣し、内乱鎮圧のために派兵されていたフランス軍を威嚇した(第2次モロッコ事件)。しかし、モロッコを獲得することはできず、英仏の軍事的結束を強めるばかりであった。

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ボスニア危機ではロシアに圧力をかけてセルビアにオーストリアによるボスニア・ヘルツェゴビナ併合を承認させ、第2次モロッコ事件でもアフリカ植民地を増加させることには成功している。

つまり、ドイツ第二帝国の軍事力は外交的勝利を導くに足る脅威を欧米列強に与えていることは良く分かる。

しかし、である。結局は、外交的孤立(英仏露との対立)とフランスによるモロッコ保護国化を招いているのだから、サイアクの外交的敗北である。

Synmeが思うに、バルカン半島の情勢悪化があり、ドイツ第二帝国は地中海へのドイツ海軍のアクセス確保という観点からもモロッコに拠点を有したかったのかもしれない。国際関係は「無理が通れば、道理が引っ込む」という側面を今も昔も有している。しかし、「通らない無理」を通そうと試みることほど、愚かな外交的冒険はない。そして、そのような外交は国際的な孤立につながり、将来的に軍事的に大敗するリスクを上げることにつながるのである。

実際、この第2次モロッコ事件(1911年[US135]7月1日)を契機に7月18日イギリスとフランスが軍事協定を締結している。

 

文責:鵄士縦七