Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

アメリカの地政学03:1914-1918第一次世界大戦

ひきつづきアメリカの地政学高橋洋一氏の世界のニュースがわかる! 図解地政学入門に学ぶ。続いて第一次世界大戦。最初に、クールにザックリまとめる。

1914年[US138]第一次世界大戦勃発(〜1918年[US142])。ドイツによる植民地化を防ぐため、アメリカは1915年[US139]にハイチ、1916年[US140]にドミニカ共和国を征服、軍政を敷いた。アメリカの大戦への参戦は1917年[US141]4月と最終盤であり、実質的な関与は大きくなかった。 

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さて、学んで行く。第一世界大戦は、サラエボ事件(1914年[US138]6月28日)を契機として、1914年[US138]7月28日のオーストリア=ハンガリー帝国セルビアに対する宣戦布告に始まった。戦争は4年3ヶ月を超えて続き、1918年[US]11月11日のドイツと連合国の間の休戦協定調印によって軍事行動はようやく停止された。

アメリカは1917年[US141]4月6日ドイツに対する宣戦布告をし、第一次世界大戦に参戦した。アメリカは自国の産業製品の輸出先と債権(=軍事資金援助)回収の確保のため連合国を敗北させるわけにはいかなかった。

一方、カリブ海において、ドイツがハイチやドミニカに対する干渉及び占領・植民地化を試みていた。

ハイチは独立国であり(1804年[US028]1月1日〜)、アメリカも1862年[US086]にその独立を承認していた。しかし、アメリカは1915年[US139]に債務返済を口実に海兵隊を上陸させ占領し、アメリカ軍は1934年まで軍政を敷いた。

ドミニカについては1906年[US130]に事実上のアメリカの保護国となっていたが、アメリカは1916年[US140]に海兵隊を上陸させ占領し、アメリカ軍は1924年まで軍政を敷いた。 

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ハイチ共和国は1804年[US028]1月1日にフランスから独立した。ハイチは、イスパニョーラ島の西3分の1を占める。独立前はサン=ドマングと呼ばれるフランスの植民地だった(1659年[-US117]〜1804年[US028])。砂糖とコーヒーの貿易でフランス植民地の中でも最も利益を上げていた。

Synmeは知らなかったが、ハイチはラテンアメリカで最初の独立国家であり、世界で最初の黒人による共和制国家である。ただ、ハイチはフランスからの独立の承認を得る代償として賠償金(1億5,000万フラン(後に減額され9,000万フラン))の支払いに応じたため長年苦しんだ。ドイツの干渉を許した背景もそこにあるし、賠償金の完済は1922年[US146]だった。

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現在のドミニカ共和国の位置する地域(イスパニョーラ島の東3分の2)は、アメリカ大陸でヨーロッパ人が最初に恒久的に定住した地域で、スペインの植民地かつ侵略拠点だった。イスパニョーラ島は1492年[-US284]12月6日にChristopher Columbusが到着し「スペインの島」と名付けた島であり、現在の首都であるサントドミンゴはアメリカ大陸で最も早く建設された植民都市だ。ドミニカ共和国は3度独立している。1回目は1821年[US045]11月30日にスペインの植民地支配を脱してスペイン人は一共和国として独立した。しかし内戦の隙を突かれて1822年[US046]1月にはハイチ共和国に占領されてしまう。2回目の独立は1844年[US068]2月27日で革命軍がハイチ人を一掃した。ところが、ハイチとの戦争が相次ぐ中1861年[US085]に初代大統領Pedro Santanaがスペインに併合を申し入れてしまう(Santana自身はサント・ゴミンゴ総督に就任)。ドミニカ共和国国民は激怒、ハイチ人と結んだドミニカ人自由派がスペインに対する独立戦争を遂行し1865年[US089]8月16日に最終的に独立した。

しかし、ハイチは脅威であり続け2度に渡ってアメリカへの併合を求めていた。1875年[US099]にハイチとの平和条約が結ばれ、独立国家として歩み始めた。

ちなみに、イスパニョーラ島にあるのがドミニカ共和国ドミニカ島にあるドミニカ国は別の国家だ。

 

文責:鵄士縦七

 

世界のニュースがわかる! 図解地政学入門

世界のニュースがわかる! 図解地政学入門

 

アメリカの地政学01

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まずはアメリカの地政学を学ぶ。アメリカの地政学を学ぶ1冊目は高橋洋一氏の世界のニュースがわかる! 図解地政学入門をベースにして学ぶ。

高橋氏が同書で挙げるアメリカの主な戦争は以下の8つである(世界のニュースがわかる! 図解地政学入門p.194-5)。[US歴]はSynmeが追記した。

  1. 1898年[US122] 米西戦争
  2. 1914年[US138] 第一次世界大戦
  3. 1939年[US163] 第二次世界大戦
  4. 1950年[US174] 朝鮮戦争
  5. 1960年[US184] ベトナム戦争
  6. 1962年[US186] キューバ危機
  7. 1980年[US204] イラン・イラク戦争
  8. 1990年[US214 湾岸戦争

ちょっと話が脇にそれるが、日本の現在の外交・軍事を考える上での起点は1853年[US077]のペリー来航(黒船来航)だろう。江戸時代が終わる引き金となった日本の歴史上のインパクトから言っても、「いや〜ござったペリーさん」で年号を暗記できる覚えやすさから言っても起点として適切だと思う。

それた上に、余計なことだが、Symmeは「太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たった4杯で夜も眠れず」という社会の教科書でも紹介されている狂歌が妙に印象に残っている。小学校?で習った時に、うまいこと言うなって思った記憶が強い。まあ、上喜撰が高級なお茶のことだとは知らないよね、とも思った記憶も同じ位強いけど。今改めて読むと、当時の日本人は冷静だったのかなとも思う。何せ、異国への恐怖よりも、支配者(江戸幕府)や周囲の同胞の慌てぶりを情けなく思う気持ちが勝っているから、「この世の終わり」って感じがあまりない。

さて、地政学の学習に戻る。Synmeは日本の外交・軍事を考えるために学んでいるので、アメリカの歴史も1853年[US077]あたりまで遡りたい。別途補足する必要があるが、まずは高橋氏のクールでザックリなスタンスを学ぶことを優先する。

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ちなみに、このペリー提督を日本に派遣したのはアメリカ13代大統領Millard Fillmore。もっとも、副大統領から昇格して大統領になったFillmoreは1952年[US076,4*463]に行われた大統領選に敗れて、再選を果たせなかったけど。

 

文責:鵄士縦七

 

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