ロシアの地政学
ロシアの地政学を学ぶ。今回は二月革命。最初に、クールにザックリまとめる。 1917年[US140]3月8日ロシアで二月革命(ロシア第2革命)が勃発し、 3月16日ロマノフ朝が崩壊した。ペトログラード・ソヴィエトと臨時政府とが並立する二重権力ながら、3月19日臨…
今回はニッポンの地政学として第4次日露協約の締結を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1916年[US140]7月3日ニッポンとロシアは第4次日露協約を締結し、チャイナにおけるお互いの権益を相互に承認した。 20世紀初頭にニッポンの外交政策を支えていた…
ロシアの地政学として、第2次バルカン戦争を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1913年[US137]6月29日ブルガリアがセルビアとギリシアを攻撃して第2次バルカン戦争が勃発した。モンテネグロ、ルーマニア、オスマン帝国も介入し、ルーマニア軍が首都ソ…
ロシアの地政学として第1次バルカン戦争を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1912年[US136]10月8日バルカン同盟(ブルガリア、セルビア、ギリシア、モンテネグロ)とオスマン帝国の間に第1次バルカン戦争が勃発した。バルカン同盟はオスマン帝国の欧…
ロシアの地政学を学ぶ。今回はバルカン同盟の結成。最初に、クールにザックリまとめる。 1912年[US136]3月から10月にかけて、ロシアの主導により、セルビアとブルガリアの軍事同盟を皮切りに、セルビア、ブルガリア、ギリシャ、モンテネグロは個別に対オスマ…
【再掲にあたっての備忘録】ロシアは一時的とは言え(ロシアの締結する和平条約や友好条約はすべからく一時的であることに留意)イギリスと和解することになり、バルカン半島に集中できる機会が久し振りに訪れたことになる。 ようやく第1期グレートゲーム(T…
【再掲にあたっての備忘録】1905年[US129]9月5日に日露戦争(1904年[US128]2月8日〜)に敗北したものの、1907年[US131]6月16日にロシア第1革命(1905年[US129]1月22日〜)を何とか終結させて帝政を維持したロシアのロマノフ家は、同1907年[US131]7月30日に有…
【再掲にあたっての備忘録】ロシア第1革命(1905年[US129]1月22日〜1907年[US131]6月16日)は、結局は失敗に終わり、ロシア帝政が維持されることとなった。 ここからは、フランス第三共和政がロシアの手を取り足を取り、ロシア帝政の外交戦略を再構築してあ…
【再掲にあたっての備忘録】ロシアのまさかの敗戦… ドイツ第二帝国にとって福音に思えたこのイベントが、フランス第三共和政の驚異的な外交で、ドイツ第二帝国包囲網に繋がっていく過程は既に学んだ。 まあ、次回以降でサラッと復習しますけれど。 今回も日…
【再掲にあたっての備忘録】1904年[US128]2月8日に日露戦争(〜1905年[US129]9月5日)が勃発し、1904年[US128]4月8日に英仏協商が締結されて、1905年[US129]1月22日に血の日曜日事件が起きてロシア第1革命が始まった。 英仏協商でフランス第三共和政のモロッ…
【再掲にあたっての備忘録】現在Synmeが学んでいる第一次世界大戦前の欧州列強の地政学の中の位置付けとしては、遂にニッポンを代理としたイギリスとロシアが激突した、という意義が大きい。 「仮に」考えると、日露戦争でロシアが勝利していた場合、ロシア…
【再掲にあたっての備忘録】以前学んだときは分からなかったが、ロシアのシベリア鉄道に対する意気込みが大きなものであったであろうことが改めて感じられる。 ベルリン会議(Kongokonferenz、1884年[US108]11月15日〜1885年[US109]2月26日)から6年、当たり…
【再掲にあたっての備忘録】Wilhelm IIが独露再保障条約の更新を拒絶(1890年[US114]6月17日)しても、イギリスとヘルゴランド=ザンジバル条約を締結(1890年[US114]7月1日)して順調な植民地経営を続けるドイツ第二帝国。 しかし、Otto von Bismarckの懸念…
【再掲にあたっての備忘録】ロシアはライヒシュタット秘密協定(1876年[US100]7月8日締結、Reichstadt Agreement - Wikipedia)の合意内容を無視したが、そうは問屋が卸さなかった。 怒ったオーストリアがドイツ第二帝国に泣きついて、ベルリン会議が開催さ…
【再掲にあたっての備忘録】ロシアはオーストリアとライヒシュタット秘密協定(1876年[US100]7月8日締結、Reichstadt Agreement - Wikipedia)を結んだが、ロシアとしては、事実上トルコとの戦争にオーストリアが参戦しない言質をとったという意義しかなかっ…
オーストリアの地政学を学ぶ。今回はロシアと締結したライヒシュタット秘密協定。最初にクールにザックリまとめる。 1876年[US100]7月8日オーストリアはロシアとライヒシュタット秘密協定を締結。バルカン半島にスラブ民族の国家を作らないこと、オーストリ…
【再掲にあたっての備忘録】連戦連勝してドイツ第二帝国を創り上げたと思ったら、途端に協調外交に転ずるOtto von Bismarckの天才的外交が続く。ドイツ第二帝国としては「帝国の誕生間もないので内政に努めたい」という明確な目的を感じる同盟締結であるけれ…
ロシアの地政学を学ぶ。今回は1871年のロンドン条約。最初にクールにザックリまとめる。 1871年[US095]3月13日締結のロンドン条約により黒海の非武装化解除が合意された。ロシアは黒海艦隊の再建に着手することになる。 ロシアは前年1870年[US094]10月31日に…
クリミア戦争後のロシアの地政学としてアラスカ売却を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1867年[US091]3月30日、ロシアはアラスカを720万ドルでアメリカに売却する条約に調印した。 交渉開始の正確なタイミングはSynmeが不勉強で分からないが、クリ…
【再掲にあたっての備忘録】この時期は、ロシアのバルカン半島南下政策が継続していた。しかし、直接の対立の発端となったのは、オスマン帝国が支配していたエルサレムをめぐる聖地管理問題だったようだ。イギリスの外交方針が不鮮明(つまりロシアを支持す…
モンゴルの歴史を学ぶ。今回はキャフタ条約。最初にクールにザックリまとめる。 1915年[US139]5月25日ロシアと中華民国とモンゴルはキャフタ条約を締結し、モンゴルを中華民国の主権の下で実質的に独立した統治体として認めた。 ここで言うキャフタ条約は Tr…
第1期グレートゲーム(The Great Game)終結後のニッポンの地政学を学んでいるが、今回は第3次日露協約をロシアの観点からも学んでおく。最初に、クールにザックリまとめる。 1912年[US136]7月8日ロシアはニッポンと第3次日露協約を締結し、内蒙古西部(ロシ…
初めてになるが、モンゴルの歴史を学ぶ。今回は外蒙古の独立宣言。最初にクールにザックリまとめる。 辛亥革命の勃発を受けて、1911年[US135]12月29日ボグド・ハーン政権が外蒙古の清国からの独立を宣言した。 辛亥革命(1911年[US135]10月10日〜1912年[US13…
ひきつづき第1期グレートゲーム(The Great Game)終結後のニッポンの地政学を学ぶ。今回は第2次日露協約。最初に、クールにザックリまとめる。 1910年[US134]7月4日ニッポンとロシアは第2次日露協約を締結。秘密協定によりアメリカの満州鉄道中立化提案を拒…
第1期グレートゲーム(The Great Game)が終了した。 Napoleonに対して共に戦ったロシアとイギリスがアジアで対立する中、新興国ドイツ第二帝国が台頭してイギリスとフランス第三共和政の共通の敵となり、イギリス・フランス・ロシアが三国協商を組み、ドイ…
ようやく第1期グレートゲーム(The Great Game)が終結する。今回は英露協商の締結をロシアの地政学として学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1907年[US131]8月31日、英露協商の締結。ロシアは、イギリスとフランスの暗黙の了解を得て、改めてバルカ…
今回も前回にひきつづき少しだけ時計の針を巻き戻して、日露戦争の関連でニッポンの地政学を学ぶ。今回は、樺太庁の設置。最初に、クールにザックリまとめる。 1907年[US131]4月1日ニッポンは、南樺太(樺太島北緯50度以南)を統治するため、 樺太庁を設置し…
いよいよ第1期グレートゲーム(The Great Game)終結が目前。今回は第一次日露協約をロシアの観点から学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1907年[US131]6月16日にロシア第1革命を終結させたロシアは、7月30日ニッポンと第1次日露協約を締結。秘密協定…
日露戦争に関連してロシアの地政学を学ぶ。今回はロシア第一革命。最初に、クールにザックリまとめる。 1905年[US129]1月22日、血の日曜日事件を契機としてロシア第1革命(〜1907年[US131]6月16日)が起こった。日露戦争継続の足枷となり、10月宣言に署名せ…
今回も日露戦争を学ぶ。まずニッポンの地政学の観点から考える。最初に、クールにザックリまとめる。 1905年[US129]9月5日ロシアは日露戦争に敗北し、北満州に押し戻されてしまった。 まず、高橋洋一氏の世界のニュースがわかる! 図解地政学入門から引用する…