2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧
ちょっと最近書けていなくて、時機を逸してしまったけれど… 2019年[US243]11月22日大韓民国(Republic of Korea)は、8月23日にニッポンに対して発した軍事情報包括保護協定(GSOMIA (General Security of Military Information Agreement)、ジーソミア)破…
今回はニッポンの地政学として第4次日露協約の締結を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1916年[US140]7月3日ニッポンとロシアは第4次日露協約を締結し、チャイナにおけるお互いの権益を相互に承認した。 20世紀初頭にニッポンの外交政策を支えていた…
イギリスの地政学を学ぶ。今回はサイクス・ピコ協定。いわゆる「イギリスの三枚舌外交」と言われる中東地域に関する第一次世界大戦中の外交戦略のうち2番目のものだ。最初に、クールにザックリまとめる。 1916年[US140]5月16日イギリスとフランス第三共和政…
【再掲にあたっての備忘録】しかし、袁世凱(Yuzan Shikai)の中華帝国大皇帝の座は3ヶ月程と極めて短期間であった(中華帝国の存続期間は1915年[US139]12月12日〜1916年[US140]3月22日の約3ヶ月)。 第三革命(護国戦争、1915年[US139]12月25日〜1916年[US140…
【再掲にあたっての備忘録】ニッポンから対華21カ条要求を通告された袁世凱(Yuzan Shikai)だった(1915年[US139]1月18日)が、(残念ながら)悪評の高いニッポンの対華21カ条要求ですら、チャイナの指導者にとっては外患を収める1つの外交に過ぎなかった様だ…
イギリスの地政学を学ぶ。今回はフセイン・マクマホン協定。いわゆる「イギリスの三枚舌外交」と言われる中東地域に関する第一次世界大戦中の外交戦略の最初のものだ。最初に、クールにザックリまとめる。 1915年[US139]7月〜1916年[US140]3月ころイギリスは…
イタリアの地政学を学ぶ。今回はイタリアのオーストリアに対する宣戦布告。最初に、クールにザックリまとめる。 1915年[US139]5月23日イタリア王国はオーストリア・ハンガリー二重帝国に対して宣戦布告した。 前回学んだ通り1915年[US139]4月26日イタリア王…
イタリアの地政学を学ぶ。今回はイタリアと連合国とのロンドン条約の締結。最初に、クールにザックリまとめる。 1915年[US139]4月26日イタリア王国は三国協商(イギリス、ロシア、フランス第三共和政)はロンドン条約(1915年)を秘密裏に締結し、未回収のイタ…
ニッポンの地政学を学ぶ。今回はチャイナに対する対華21ヵ条要求。最初に、クールにザックリまとめる。 1915年[US139]1月18日ニッポンは中華民国の袁世凱に対し、対華21カ条要求を通告した。その内容は、南満州及び東部内蒙古についての権益を強化し、ドイツ…
ニッポンの地政学を学ぶ。今回はイギリスと合同でドイツと戦った青島の戦い。最初に、クールにザックリまとめる。 1914年[US138]10月31日〜11月7日ニッポンとイギリスの連合軍がドイツ第二帝国東洋艦隊の拠点である青島を攻略した。 1898年[US122]3月6日、ド…
ニッポンの地政学を学ぶ。今回はドイツ領南洋諸島の占領。最初に、クールにザックリまとめる。 1914年[US138]10月3日から14日にかけて、ニッポンはドイツ領南洋諸島のうち赤道以北のマリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島を占領した。ニューギニアとサ…
今回は久し振りに鉄道と運河の地政学、アメリカによるパナマ運河の開通を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1914年[US138]8月15日アメリカはパナマ運河を開通させた。予定より2年早い完成であり、第一次世界大戦の開戦直後であった。 1903年[US117]1…
ニッポンの地政学を学ぶ。今回はドイツに対する宣戦布告。最初に、クールにザックリまとめる。 1914年[US138]8月4日イギリスがドイツ第二帝国に宣戦布告したが、日英同盟は適用されず同日ニッポンは中立を宣言した。しかし、ニッポンはドイツ第二帝国に対し…
イギリスの地政学を学ぶ。今回はドイツに対する宣戦布告。最初に、クールにザックリまとめる。 1914年[US138]8月4日ドイツ第二帝国がベルギーに侵攻すると、ベルギー王の1839年ロンドン条約に基づく軍事援助要請に応じて、同日イギリスがドイツ第二帝国に対…