フランスの地政学
【再掲にあたっての備忘録】第2次モロッコ事件の関連では複数のフェス条約が締結されているのでややこしいけれど、このフランスによるモロッコの保護国化を取り決めたのが、いわゆるフェス条約として有名なものである。 フランス第三共和政は、ドイツとの直…
【再掲にあたっての備忘録】バルカン半島でセルビアvsオーストリアという火種が燻り、それぞれを支持する形でロシア・フランスvsロシアという対立の図式が鮮明化していく中で、モロッコをめぐるフランスとドイツの対立も第2ラウンドを迎えた。 このような事…
【再掲にあたっての備忘録】フランスは、1891年[US115]ロシア、1904年イギリス、そして1907年ニッポンと組んで、隣の新興列強ドイツ第二帝国を列強間で孤立化させることに成功した。素晴らしい外交である。 加えて、1902年イタリアとも秘密同盟を結んでおり…
【再掲にあたっての備忘録】ニッポンとロシアの友好関係樹立は、フランスとイギリスの思惑でもあった。日露戦争で賠償金を取れず財政難であったニッポンに対して、フランス第三共和政の主導でフランス第三共和政およびイギリスが国債の引受をしているのだ。 …
【再掲にあたっての備忘録】ロシア第1革命(1905年[US129]1月22日〜1907年[US131]6月16日)が終わり、ロシア帝政が維持されることを見越したかの様にフランスのドイツ包囲網形成が始まる。まずは、有色人種新興列強ニッポンを最恵国待遇で釣るところから… フ…
【再掲にあたっての備忘録】1904年[US128]2月8日に日露戦争(〜1905年[US129]9月5日)が勃発し、1904年[US128]4月8日に英仏協商が締結されて、1905年[US129]1月22日に血の日曜日事件が起きてロシア第1革命が始まった。 フランス第三共和政は、ロシアを頼みと…
【再掲にあたっての備忘録】フランスにとっては、色々と重要な成果を得た外交的快挙だったのかもしれない。 第1に、ドイツと対立するモロッコ権益をイギリスに承認させたことが大きい。 第2に、フランス第三共和政にとっての重要な植民地であるフランス領イ…
【再掲にあたっての備忘録】1902年[US126]1月30日イギリスとニッポンが第1次日英同盟を締結した。日露戦争(1904年[US128]2月8日〜1905年[US129]9月5日)が勃発して2ヶ月、イギリスはフランス第三共和政と英仏協商(Entente Cordiale)を締結した。 日露戦争…
【再掲にあたっての備忘録】スーダンでマフディー戦争(1881年[US105]〜1898年[US122])を戦っていたイギリス、1885年[US109]1月25日エジプト・イギリス軍がハルツームでマフディー軍に敗れ、1898年[US122]までの13年間マフディー国家(Mahdist Sudan)がス…
【再掲にあたっての備忘録】19世紀後半、「間接的」かつ「複合的」な状況変化により、マダガスカルのメリナ王国はフランス第三共和政による植民地化を免れられなかった。 メリナ王国を江戸幕府と置き換えれば、ニッポンでも起こり得た事態である。 まず、186…
【再掲にあたっての備忘録】Wilhelm IIが独露再保障条約の更新を拒絶(1890年[US114]6月17日)しても、イギリスとヘルゴランド=ザンジバル条約を締結(1890年[US114]7月1日)して順調な植民地経営を続けるドイツ第二帝国。 しかし、Otto von Bismarckの懸念…
【再掲にあたっての備忘録】フランス第三共和政は、現在のコンゴ共和国(Congo-Brazzaville、コンゴ共和国 - Wikipedia)にあたる地域を、フランス領コンゴ(フランス領コンゴ - Wikipedia)として領有した。 イギリスと軍事同盟を結ぶポルトガルに対抗する…
19世紀後半、アフリカの角(Horn of Africa) 周辺で列強の動きが活発になる。今回はフランスの地政学として、フランス領ソマリランドの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1883年[US107]フランス第三共和政がSomali族及びAfar族の支族長と締結し…
【再掲にあたっての備忘録】1878ベルリン会議(1878年[US102]6月13日〜7月13日)にはロシアとトルコの他に、ドイツ第二帝国、オーストリア=ハンガリー二重帝国、イギリス、フランス第三共和政、そしてオマケで新興国イタリア王国が参加していた。 そして、…
【再掲にあたっての備忘録】1870年[US094]9月2日セダンの戦いにおいてNapoléon IIIが捕虜となると、翌々日の4日フランス国内では共和国宣言が出され、第二帝政はあっさり崩壊した。 フランスは共和政の下で植民地政策を推し進め、ドイツ第二帝国に対抗すべく…
【再掲にあたっての備忘録】1869年[US093]11月17日スエズ運河が開通した。建設・開通させたのはフランス第二帝政であったが、イギリスにとっては世界戦略の一大転機だったはずだ。なぜなら、イギリス領インド帝国(Indian Empire、1858年[US082]8月2日成立)…
イタリア統一戦争との関連でフランスの地政学を学ぶ。今回はサルデーニャ王国による中央イタリア諸国の併合。最初に、クールにザックリまとめる。 1860年[US084]フランス第二帝政はサヴォワとニースをサルデーニャ王国から獲得した。サルデーニャ王国の中央…
【再掲にあたっての備忘録】ロシアとオスマン帝国の対立の原因を作ったのは、実はNapoléon IIIであった。勝利した上、講和会議も主催したフランス第二帝政の国際的地位は急速に高まり、バルカン半島を巡るオーストリアとロシアの対立が深まる端緒ともなり、…
さて、だいぶ間延びしてしまっているけれどGreat Game終焉に至るフランスの地政学を簡単に振り返っている。今回で復習終わりです。 今回は英仏協商から英露協商までを復習する。三国協商(「仏英露」、事実上「+日」)という外交的成果を挙げた段階で、WWI…
つづいて露仏同盟(1891年[US115])から英仏協商(Entente Cordiale、1904年[US128]4月8日)までを復習する。 フランス第三共和政は、外交努力によって、露仏同盟を「ロシアにとって価値ある同盟」と証明を続ける一方で、アジアでもアフリカでもイギリスに妥…
つづいて普仏戦争(1870年[US094]7月19日〜1871年[US095]5月10日)から露仏同盟(1891年[US115])までを復習する。 Napoléon IIIが捕虜となって2日後には共和国宣言がなされ(フランス第三共和政(1870年[US094]9月2日〜1940年[US164]6月22日))、フランス…
さて、近現代ニッポンの践祚・即位の学習に想定よりも時間がかかってしまったけれど、Great Game終焉に至るフランスの地政学を簡単に振り返る。 19世紀末〜20世紀初頭のGreat Game終焉当時、フランス第三共和政はアフリカの植民地を急速に拡大していく一方で…
フランスの地政学を学ぶ。しばらくの間、アフリカ侵略と英仏露三国協商にフォーカスする。 今回はフェス条約。最初に、クールにザックリまとめる。 1912年[US136]3月30日フランス第三共和政はモロッコ王国とフェス条約を締結し、モロッコの大部分をフランス…
フランスの地政学を学ぶ。しばらくの間、アフリカ侵略と英仏露三国協商にフォーカスする。 今回は第2次モロッコ事件。最初に、クールにザックリまとめる。 1911年[US135]7月1日ドイツ第二帝国は砲艦パンターをモロッコのアガディールに突如派遣し、内乱鎮圧…
フランスの地政学を学ぶ。しばらくの間、アフリカ侵略と英仏露三国協商にフォーカスする。 今回は英露協商の締結。最初に、クールにザックリまとめる。 1907年[US131]8月31日、英露協商の締結。フランスはニッポンまで巻き込んで、英仏露でドイツに対抗する…
フランスの地政学を学ぶ。しばらくの間、アフリカ侵略と英仏露三国協商にフォーカスする。 今回は第1次日露協約。最初に、クールにザックリまとめる。 1907年[US131]7月30日ニッポンはロシアと第1次日露協約を締結した。 まず、フランス第三共和政がニッポン…
フランスの地政学を学ぶ。しばらくの間、アフリカ侵略と英仏露三国協商にフォーカスする。 今回は日仏協約。最初に、クールにザックリまとめる。 1907年[US131]6月10日フランス第三共和政はニッポンと日仏協商を締結した。フランス第三共和政はアジアにおけ…
フランスの地政学を学ぶ。しばらくの間、アフリカ侵略と英仏露三国協商にフォーカスする。 今回は第1次モロッコ事件。最初に、クールにザックリまとめる。 1905年[US129]3月31日ドイツ第二帝国皇帝Wilhelm IIがモロッコのタンジールを突如訪問してフランス第…
フランスの地政学を学ぶ。しばらくの間、アフリカ侵略と英仏露三国協商にフォーカスする。 今回は英仏協商。最初に、クールにザックリまとめる。 1904年[US128]4月8日フランス第三共和政とイギリスは英仏協商を締結し、エジプトとモロッコの権益を相互承認し…
フランスの地政学を学ぶ。しばらくの間、アフリカ侵略と英仏露三国協商にフォーカスする。 今回はようやくファショダ事件。最初に、クールにザックリまとめる。 1898年[US122]9月18日スーダンのファショダ村でフランス軍とイギリス軍が遭遇。フランスが譲歩…