2018-01-01から1年間の記事一覧
さて、アフリカ分割に関連するイギリスの地政学を学んで行く。今回はファショダ事件。最初に、クールにザックリまとめる。 1898年[US122]9月18日スーダンのファショダ村でイギリス軍とフランス軍が遭遇。フランスが譲歩し撤退したため、以降の両国の関係は良…
さて、アフリカ分割に関連するイギリスの地政学を学んで行く。今回はマフディー戦争。最初に、クールにザックリまとめる。 1881年[US105]自らマフディーを名乗ったMuḥammad Aḥmadの反乱が起こりスーダンを支配した(〜1898年[US122])。しかし、エジプト経済…
さて、アフリカ分割に関連するイギリスの地政学を学んで行く。今回はイギリスによるエジプトの保護国化。最初に、クールにザックリまとめる。 1882年[US106]イギリスはウラービー革命の鎮圧に乗じてエジプトを保護国化した。 1881年[US105]アフマド・ウラー…
ようやくアメリカもチャイナ分割(瓜分)に顔を(口を)出したところで、日英同盟の締結(1902年[US126])そして日露戦争(1904年[US128])へと話を進めたいところである。 しかし、イギリスの地政学に関連するアフリカ分割だけ簡単に学んでおきたいとSynme…
さて、いよいよアメリカがチャイナ分割(瓜分)に顔を出す、というか口だけ出す。今回は門戸開放通牒(Open Door Notes)の送付を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1899年[US123]9月6日アメリカはニッポンと欧州列強各国に対して門戸開放通牒(Open…
ここのところ、Synmeはチャイナ分割(瓜分)を学んでいる。日清戦争以降で学んだ項目を列挙してみると以下の通りである。 ニッポンの地政学19:1894.7.25-1895.4.17日清戦争、馬関条約 ロシアの地政学33:1895.4.23三国干渉 ニッポンの地政学21:1895.11.8遼…
ひきつづき、Synmeはチャイナ分割(瓜分)を学んでいく。今回はイギリスによる新界(九龍半島北部)の獲得を学ぶ。これはつまり香港租借地の拡大である。最初に、クールにザックリまとめる。 1898年[US122]6月9日イギリスは清とConvention for the Extension…
チャイナ分割(瓜分)及びロシアの関連で、李氏朝鮮を巡るニッポンの地政学を学ぶ。今回は西・ローゼン協定。最初に、クールにザックリまとめる。 1898年[US122]4月25日ニッポンとロシアは西・ローゼン協定を結び、大韓帝国をニッポンの勢力範囲とし、満州を…
ひきつづき、Synmeはチャイナ分割(瓜分)を学んでいく。今回はニッポンによる福建省不割譲を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1898年[US122]4月22日ニッポンは清と福建省不割譲条約を締結し、台湾の対岸が欧州列強の租借地となることを未然に防い…
ひきつづきSynmeはチャイナ分割(瓜分)を学んでいく。今回はフランスによる広州湾(Fort-Bayard(バヤール要塞), Kwangchow Wan)の獲得を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 フランス第三共和政は広州湾を占領し、1898年[US122]4月10日膠州湾を租…
ひきつづきSynmeはチャイナ分割(瓜分)を学んでいく。今回はイギリスによる威海衛(Port Edward, Weihaiwei)の獲得を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1898年[US122]3月28日イギリスは旅順(Port Arthur)を獲得したロシアに対抗するため、威海衛…
さて、Synmeはチャイナ分割(瓜分)を学んでいるが、思わぬ形で李氏朝鮮に影響が及ぶことになる。今回はロシアの軍事・民事アドバイザの突然の撤退を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 旅順・大連を租借したロシアは李氏朝鮮への関与を低下させる。1…
ひきつづき、Synmeはチャイナ分割(瓜分)を学んでいく。今回はロシアによる旅順(Port Arthur)・大連の租借と南満洲鉄道敷設権の獲得を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1898年[US122]3月15日(または27日)ロシアは旅順と大連を25年間租借し、南…
ひきつづき、Synmeはチャイナ分割(瓜分)を学んでいく。今回はドイツによる膠州湾の租借と山東鉄道敷設権の獲得を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1898年[US122]3月6日ドイツ第二帝国は膠州湾を99年間租借し、山東鉄道の敷設権を獲得した。 1898…
さて、Synmeはチャイナ分割(瓜分)を学んでいく。今回はドイツによる膠州湾の占領を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1897年[US121]ドイツ人宣教師殺害事件を口実に、ドイツ東洋艦隊は膠州湾岸全域を占領した。 欧米列強による植民地化の定番「宣…
Synmeは日清戦争を学んで来た。関連して、コリアの歴史について大韓帝国の成立(1897年[US121]10月12日)までを3回だけ簡単に学んでおく。今回はロシアの傀儡たる大韓帝国の成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1897年[US121]10月12日李氏朝鮮は…
今回は少しだけ時計を巻き戻して、日米通商航海条約を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1894年[US118]11月22日ニッポンとアメリカは日米通商航海条約に署名した。同条約は1899年に効力発生し、明治ニッポンはアメリカに対しても治外法権の撤廃に成…
日清戦争に関連してニッポンの地政学を学ぶ。今回は日清通商航海条約の締結を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1896年[US120]7月21日ニッポンと清は日清通商航海条約を締結した。ニッポンに欧米列強と同等の経済的待遇と領事裁判権を認める不平等条…
李氏朝鮮を巡るニッポンの地政学を学ぶ。露館播遷への対応として、今回は山縣・ロバノフ協定を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1896年[US120]6月9日ニッポンとロシアは、朝鮮の独立を保証すること、李氏朝鮮の財政改革を促進すること、近代的警察…
日清戦争に関連してロシアの地政学を学ぶ。今回は露清密約、これはチャイナ分割(瓜分)の幕開けとなる。最初に、クールにザックリまとめる。 三国干渉によってニッポンから遼東半島を還付させた代償として、1896年[US120]6月3日ロシアは清と露清密約を締結…
李氏朝鮮を巡るニッポンの地政学を学ぶ。露館播遷への対応として、小村・ウェーバー協定を学ぶ。今回は事実だけ。 1896年[US120]5月14日ニッポンとロシアはロシア公使館にいる李氏朝鮮国王高宗の還宮実現の条件を話し合い、両軍の駐屯定員などを取り決めた(…
Synmeは日清戦争を学んで来た。関連して、コリアの歴史について大韓帝国の成立(1897年[US121]10月12日)までを3回だけ簡単に学んでおく。今回は露館播遷(ろかんはせん)を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1,000年ぶりに独立した李氏朝鮮だったが…
Synmeは日清戦争を学んで来た。関連して、久々にイギリスの地政学を学ぶ。今回は、シャムとメーコーン上流域に関する英仏宣言。最初にクールにザックリまとめる。 1896年[US120]1月15日イギリスとフランス第三共和政はシャムとメーコーン上流域に関する英仏…
Synmeは日清戦争を学んで来た。関連して、コリアの歴史について大韓帝国の成立(1897年[US121]10月12日)までを3回だけ簡単に学んでおく。今回は李氏朝鮮が清の属国から独立国になるのを学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1895年[US119]4月17日にニ…
ニッポンの地政学を学ぶ。今回は台湾平定(乙未戦争)。Synmeは日清戦争に関連していくつか学んで来たが、直接の因果関係がある事項としてはこれで一段落。最初に、クールにザックリまとめる。 割譲されたにもかかわらず台湾民主国の独立が宣言されるなどし…
ニッポンの地政学を学ぶ。Synmeは日清戦争に関連していくつか学ぶ予定。露仏独の「チョット待った」コールに抗えるはずもないニッポン。今回は遼東還付条約の締結を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1895年[US119]11月8日ニッポンは清と遼東還付条…
久々にロシアの地政学を学ぶ。Synmeは日清戦争に関連していくつか学ぶ予定。戦争に勝利してニッポンが獲得した遼東半島に「チョット待った」コールがかかる。まさに露仏独による紅鯨団。第1期グレートゲーム(The Great Game)終盤のロシアとニッポンの対立…
ニッポンの地政学を学ぶ。Synmeは日清戦争に関連していくつか学ぶ予定。今回は事実だけ。 1895年[US119]日清戦争に勝利したニッポンが馬関条約により台湾と澎湖諸島を割譲したことにより、清が琉球に対する日本の主権を承認したこととなった。これにより琉球…
ニッポンの地政学を学ぶ。第1期グレートゲーム(The Great Game)終結までを学ぶために、国際社会に復帰したニッポンの地政学を学ぶ必要があるためだ。今回はいよいよ日清戦争を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1894年[US118]7月25日、ニッポンと…
ニッポンの地政学、今回は日英通商航海条約を学ぶ。最初に事実だけ。 1894年[US118]7月16日ニッポンとイギリスは日英通商航海条約に署名した。同条約は1899年[US123]に効力発生し、明治ニッポンは治外法権の撤廃を遂に達成した。 1894年[US118]7月16日ニッポ…