Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

イギリスの地政学

イギリスの地政学28:1916.5.16サイクス・ピコ協定

イギリスの地政学を学ぶ。今回はサイクス・ピコ協定。いわゆる「イギリスの三枚舌外交」と言われる中東地域に関する第一次世界大戦中の外交戦略のうち2番目のものだ。最初に、クールにザックリまとめる。 1916年[US140]5月16日イギリスとフランス第三共和政…

イギリスの地政学27:1915.7−1916.3フセイン・マクマホン協定

イギリスの地政学を学ぶ。今回はフセイン・マクマホン協定。いわゆる「イギリスの三枚舌外交」と言われる中東地域に関する第一次世界大戦中の外交戦略の最初のものだ。最初に、クールにザックリまとめる。 1915年[US139]7月〜1916年[US140]3月ころイギリスは…

イギリスの地政学26:1914.8.4ドイツに対する宣戦布告(第一次世界大戦勃発)

イギリスの地政学を学ぶ。今回はドイツに対する宣戦布告。最初に、クールにザックリまとめる。 1914年[US138]8月4日ドイツ第二帝国がベルギーに侵攻すると、ベルギー王の1839年ロンドン条約に基づく軍事援助要請に応じて、同日イギリスがドイツ第二帝国に対…

イギリスの地政学25:1912.10.8-1913.5.30第1次バルカン戦争

1912年[US136]10月8日バルカン同盟(ブルガリア、セルビア、ギリシア、モンテネグロ)とオスマン帝国の間に第1次バルカン戦争が勃発した。バルカン同盟はオスマン帝国の欧州側領土の大半を占領して勝利し、1913年[US137]5月30日ロンドン条約を締結。オスマン…

【再掲】イギリスの地政学15:1907.8.31英露協商

【再掲にあたっての備忘録】イギリスは光栄ある孤立(Splendid Isolation)を破棄して同盟外交を展開し、1902年[US126]ニッポン、1904年[US128]フランス、そして1907年[US131]ロシアと組んで、飛ぶ鳥を落とす勢いの新興列強ドイツ第二帝国にロックオンしたわ…

【再掲】フランスの地政学41:1907.7.30第1次日露協約

【再掲にあたっての備忘録】ニッポンとロシアの友好関係樹立は、フランスとイギリスの思惑でもあった。日露戦争で賠償金を取れず財政難であったニッポンに対して、フランス第三共和政の主導でフランス第三共和政およびイギリスが国債の引受をしているのだ。 …

【再掲】イギリスの地政学14:1905.8.12第2次日英同盟の締結

【再掲にあたっての備忘録】日露戦争(1904年[US128]2月8日〜1905年[US129]9月5日)が集結するのを待たず、ニッポンの日本海海戦(1905年[US129]5月27-28日 )勝利を見て、イギリスは日英同盟を軍事同盟に引き上げた。 日露戦争に関連して、イギリスの地政学…

【再掲】イギリスの地政学13:1904.4.8英仏協商

【再掲にあたっての備忘録】1902年[US126]1月30日イギリスとニッポンが第1次日英同盟を締結した。日露戦争(1904年[US128]2月8日〜1905年[US129]9月5日)が勃発して2ヶ月、イギリスはフランス第三共和政と英仏協商(Entente Cordiale)を締結した。 日露戦争…

鉄道と運河の地政学08:1903バグダード鉄道着工

ドイツの3B政策について簡単に学んでおく。今回は鉄道と運河の地政学として、バグダード鉄道の着工について学ぶ。最初にクールにザックリ学ぶ。 1903年[US127]ドイツ第二帝国はペルシア湾へのアクセスを得るため、イスタンブールからバグダードを経由しクウ…

【再掲】イギリスの地政学11:1902.5.31第2次ボーア戦争終結

【再掲にあたっての備忘録】約3年にもわたった泥沼の戦いに勝利を収め、イギリスはホッと一息をつく。 当時のイギリスの植民地経営上の懸念は、次に、チャイナ分割においてロシアが決定的な優位を占めることをニッポンを使って阻止できるか否か、に移って行…

【再掲】イギリスの地政学12:1902.1.30第1次日英同盟の締結

【再掲にあたっての備忘録】第2次ボーア戦争(1899年[US123]10月11日〜1902年[US126]5月31日)のゲリラ戦に苦しんでいたイギリスが、遂に光栄ある孤立(Splendid Isolation)を破棄して同盟外交を始めた。 同盟相手はニッポンである。直接の目的は、南アフリ…

【再掲】イギリスの地政学11:1899.10.11第2次ボーア戦争の勃発

【再掲にあたっての備忘録】アフリカ分割が進む中、ドイツ第二帝国の植民地拡大はあれど、エジプト、ケニア及びザンジバルの植民地化、ローデシアの植民地化着手、そしてスーダンの共同統治開始と順調に見えたイギリスであった。 一方、ドイツ第二帝国やイタ…

【再掲】イギリスの地政学09:1899.6.19イギリスとエジプトがスーダンの共同統治開始

【再掲にあたっての備忘録】イギリスとしては、エチオピア帝国に隣接するスーダンは単独統治するよりもエジプトと共同統治する方が陸軍をエジプトに任せることができて良かったのではないか? なにはともあれ、イギリスは20年弱をかけてスーダンのイギリスと…

【再掲】イギリスの地政学10:1898.9.18ファショダ事件

【再掲にあたっての備忘録】スーダンでマフディー戦争(1881年[US105]〜1898年[US122])を戦っていたイギリス、1885年[US109]1月25日エジプト・イギリス軍がハルツームでマフディー軍に敗れ、1898年[US122]までの13年間マフディー国家(Mahdist Sudan)がス…

イギリスの地政学24:1896.8.27 09:02-09:40イギリス・ザンジバル戦争

今回はイギリスの地政学として、イギリス・ザンジバル戦争を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1896年[US120]8月27日イギリス・ザンジバル戦争が勃発。38分でイギリスがザンジバル保護国に勝利し、イギリスにとって都合の良いスルタンが即位すること…

イギリスの地政学23:1891ローデシアの植民地化に着手

19世紀後半、アフリカの角(Horn of Africa) 周辺で列強の動きが活発になる一方、イギリスは南アフリカから徐々に北上を続けていた。今回は、ローデシアの植民地化を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1891年[US115]イギリスは、ポルトガルを排除し、…

イギリスの地政学22:1890.7.1ザンジバル保護国の成立

今回はイギリスの地政学として、ザンジバル保護国の成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1890年[US114]7月1日イギリスはドイツ第二帝国とヘルゴランド=ザンジバル条約を締結して、ザンジバル(ウングジャ島(ザンジバル島)、ペンバ島)に対す…

イギリスの地政学21:1890.7.1ヘルゴランド=ザンジバル条約

破竹の勢いで植民地帝国の拡大を続けるドイツ第二帝国とイギリスがお互いの植民地に関連する条約を締結した。今回はイギリスの地政学として、ヘルゴランド=ザンジバル条約の締結を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1890年[US114]7月1日イギリスは…

イギリスの地政学20:1888.4.18イギリス東アフリカ会社の設立

19世紀後半、アフリカの角(Horn of Africa) 周辺で列強の動きが活発になる。今回はイギリスの地政学として、イギリス東アフリカ会社の設立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1888年[US112]4月18日 イギリスはイギリス東アフリカ会社を設立。現在の…

イギリスの地政学19:1884イギリス領ソマリランドの成立

19世紀後半、アフリカの角(Horn of Africa) 周辺で列強の動きが活発になる。今回はイギリスの地政学として、イギリス領ソマリランドの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1884年[US108]アデン海軍基地に駐留していたイギリス軍が食料調達目的で…

【再掲】イギリスの地政学09:1881-1899マフディー戦争

【再掲にあたっての備忘録】今回の文脈では、イギリスがエジプトの経済再建・再軍備を支援していることがポイントである。イギリスにとってはスエズ運河が最も大事、そしてそのコントロールを保持し続けるにはエジプトがハッピーである必要があるわけだ。だ…

【再掲】イギリスの地政学08:1882.6.11ウラービー革命/イギリスによるエジプトの保護国化

【再掲にあたっての備忘録】1875年[US099]スエズ運河株式を取得、1878年[US102]7月13日キプロス島を租借、そして1882年[US106]6月11日エジプトを保護国化。イギリスのやることは的確かつ効率的である。 【再掲】鉄道と運河の地政学03:1875イギリスがスエズ…

イギリスの地政学18:1878.7.13ベルリン条約/キプロス島の租借

1877-1878ロシア・トルコ戦争の関連でイギリスの地政学を学ぶ。今回は、キプロス島の租借である。最初にクールにザックリまとめる。 1878年[US102]7月13日ベルリン条約とは別に、イギリスはロシアから攻撃された際の援助の見返りにキプロス島を租借する条約…

【再掲】鉄道と運河の地政学03:1875イギリスがスエズ運河会社株式を取得

【再掲にあたっての備忘録】スエズ運河会社の株式取得は、イギリス首相Benjamin Disraeliが議会の承認なしに行ったものだそうだ。なんというファインプレー。結果論から見ると英領インドへの海上ルートとしてのスエズ運河の重要性は極めて高いものであった。…

イギリスの地政学17:1914.7.3マクマホンライン

チベットの歴史を学ぶ。辛亥革命の影響としては、ニッポン、モンゴル、チベット、そしてGreat Gameの経緯からロシア及びイギリスが関わっている。今回はマクマホンラインを学ぶ。最初にクールにザックリまとめる。 シムラ条約(1914年[US138]7月3日)の傍ら…

イギリスの地政学16:1911.7.13第3次日英同盟

今回は第3次日英同盟の締結をイギリスの地政学として学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1911年[US135]7月13日イギリスはニッポンと日英同盟を更新・締結した(第3次日英同盟)。イギリスとしては英仏露による対ドイツ包囲網継続のために有用であった…

地政学を学ぶフレームワーク17

第1期グレートゲーム(The Great Game)が終了した。 Napoleonに対して共に戦ったロシアとイギリスがアジアで対立する中、新興国ドイツ第二帝国が台頭してイギリスとフランス第三共和政の共通の敵となり、イギリス・フランス・ロシアが三国協商を組み、ドイ…

イギリスの地政学15:1907.8.31英露協商

ようやく第1期グレートゲーム(The Great Game)が終結する。今回は英露協商の締結をイギリスの地政学として学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1907年[US131]8月31日、英露協商の締結。イギリスは、ロシアのバルカン半島南下を黙認することで、英仏…

イギリスの地政学14:1905.8.12第2次日英同盟の締結

日露戦争に関連して、イギリスの地政学を学ぶ。今回は第2次日英同盟の締結。最初に、クールにザックリまとめる。 1905年[US129]8月12日イギリスはニッポンと第2次日英同盟を結び、対象地域にインドを追加すると同時に、本格的な軍事同盟に引き上げた。 日本…

イギリスの地政学13:1904.4.8英仏協商

極東で新興国ニッポンがロシアとの戦端を開いて2ヶ月。イギリスの外交方針が大きく変わる。今回は英仏協商を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1904年[US128]4月8日イギリスとフランス第三共和政は英仏協商を締結し、エジプトとモロッコの権益を相互…