2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧
今回はドイツの地政学。アフリカから離れて、今回はドイツ領ニューギニアの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1884年[US108]11月3日イギリスと協議の上、ドイツ第二帝国はニューギニア島北東部及び島嶼部にドイツ領ニューギニアを成立させた。…
イギリスとフランスが先行していたアフリカ分割について、スエズ運河の開通によりアフリカの角の争奪戦が始まった他に、ドイツの参入が急ピッチで進む。今回はドイツ領南西アフリカの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1884年[US108]8月7日ド…
イギリスとフランスが先行していたアフリカ分割について、スエズ運河の開通によりアフリカの角の争奪戦が始まった他に、ドイツの参入が急ピッチで進む。今回はドイツ領トーゴランドの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1884年[US108]7月5日ド…
イギリスとフランスが先行していたアフリカ分割について、スエズ運河の開通によりアフリカの角の争奪戦が始まった他に、ドイツの参入が急ピッチで進む。今回はドイツ領カメルーンの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1884年[US108]7月5日ドイ…
19世紀後半、アフリカの角(Horn of Africa) 周辺で列強の動きが活発になる。今回はイギリスの地政学として、イギリス領ソマリランドの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1884年[US108]アデン海軍基地に駐留していたイギリス軍が食料調達目的で…
19世紀後半、アフリカの角(Horn of Africa) 周辺で列強の動きが活発になる。今回はフランスの地政学として、フランス領ソマリランドの成立を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1883年[US107]フランス第三共和政がSomali族及びAfar族の支族長と締結し…
【再掲にあたっての備忘録】今回の文脈では、イギリスがエジプトの経済再建・再軍備を支援していることがポイントである。イギリスにとってはスエズ運河が最も大事、そしてそのコントロールを保持し続けるにはエジプトがハッピーである必要があるわけだ。だ…
【再掲にあたっての備忘録】1875年[US099]スエズ運河株式を取得、1878年[US102]7月13日キプロス島を租借、そして1882年[US106]6月11日エジプトを保護国化。イギリスのやることは的確かつ効率的である。 【再掲】鉄道と運河の地政学03:1875イギリスがスエズ…
2019年[US243]8月23日大韓民国(Republic of Korea)がニッポンとの軍事情報包括保護協定(GSOMIA (General Security of Military Information Agreement)、ジーソミア)を破棄した。同協定は11月22日に発効からわずか3年で失効する。 「思い返せば、あの日…
イタリアの地政学、今回は三国同盟を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1882年[US106]5月12日にフランス第三共和政がチュニジアを保護国化すると、20日イタリア王国はドイツ第二帝国とオーストリア=ハンガリー二重帝国の軍事同盟に加わり、三国同盟…
【再掲にあたっての備忘録】Otto von Bismarckとしては、「良い展開」である。ここまでを読んで1878ベルリン会議(1878年[US102]6月13日〜7月13日)を主催していたのかも知れないけれど… 独墺同盟にイタリア王国が加わり三国同盟を形成した。 対外的にはフラ…
【再掲にあたっての備忘録】1878ベルリン会議(1878年[US102]6月13日〜7月13日)にはロシアとトルコの他に、ドイツ第二帝国、オーストリア=ハンガリー二重帝国、イギリス、フランス第三共和政、そしてオマケで新興国イタリア王国が参加していた。 そして、…
【再掲にあたっての備忘録】独墺同盟は対ロシアを念頭に置いた軍事同盟である。 Otto von Bismarckとしては、ベルリン条約(1878年[US102]7月13日)はっきりとロシアを怒らせた(大ブルガリア公国を3分割してロシアの地中海への陸路を奪った)のだから、「と…
1877-1878ロシア・トルコ戦争の関連でオーストリアの歴史を学ぶ。今回は、ボスニアの占領である。最初にクールにザックリまとめる。 1878年[US102]7月13日に締結されたベルリン条約の結果、オーストリア=ハンガリー二重帝国は、サン・ステファノ条約では自…
1877-1878ロシア・トルコ戦争の関連でイギリスの地政学を学ぶ。今回は、キプロス島の租借である。最初にクールにザックリまとめる。 1878年[US102]7月13日ベルリン条約とは別に、イギリスはロシアから攻撃された際の援助の見返りにキプロス島を租借する条約…
【再掲にあたっての備忘録】Otto von Bismarckにとっては、「想定外」であったろう。そもそもオーストリアがライヒシュタット秘密協定(1876年[US100]7月8日)など結ばなければ、ロシアがトルコと戦端を開くことも防げたかもしれず、なにより、ベルリン条約…
【再掲にあたっての備忘録】ロシアはライヒシュタット秘密協定(1876年[US100]7月8日締結、Reichstadt Agreement - Wikipedia)の合意内容を無視したが、そうは問屋が卸さなかった。 怒ったオーストリアがドイツ第二帝国に泣きついて、ベルリン会議が開催さ…
【再掲にあたっての備忘録】ロシアはオーストリアとライヒシュタット秘密協定(1876年[US100]7月8日締結、Reichstadt Agreement - Wikipedia)を結んだが、ロシアとしては、事実上トルコとの戦争にオーストリアが参戦しない言質をとったという意義しかなかっ…
オーストリアの地政学を学ぶ。今回はロシアと締結したライヒシュタット秘密協定。最初にクールにザックリまとめる。 1876年[US100]7月8日オーストリアはロシアとライヒシュタット秘密協定を締結。バルカン半島にスラブ民族の国家を作らないこと、オーストリ…
【再掲にあたっての備忘録】スエズ運河会社の株式取得は、イギリス首相Benjamin Disraeliが議会の承認なしに行ったものだそうだ。なんというファインプレー。結果論から見ると英領インドへの海上ルートとしてのスエズ運河の重要性は極めて高いものであった。…
【再掲にあたっての備忘録】連戦連勝してドイツ第二帝国を創り上げたと思ったら、途端に協調外交に転ずるOtto von Bismarckの天才的外交が続く。ドイツ第二帝国としては「帝国の誕生間もないので内政に努めたい」という明確な目的を感じる同盟締結であるけれ…
ロシアの地政学を学ぶ。今回は1871年のロンドン条約。最初にクールにザックリまとめる。 1871年[US095]3月13日締結のロンドン条約により黒海の非武装化解除が合意された。ロシアは黒海艦隊の再建に着手することになる。 ロシアは前年1870年[US094]10月31日に…
【再掲にあたっての備忘録】1871年[US095]1月18日ホーエンツォレルン家が(ハプスブルク家を排除し)ドイツ統一を果たした。Bismarckはオーストリアを破り、フランス第二帝政を破り、南ドイツ連邦の取り込みにも成功して、ドイツ帝国を成立させ、あっという…
今回はイタリアの地政学として普仏戦争を学ぶ。1870年[US094]9月2日にセダンの戦いにおいてNapoléon IIIが捕虜となると、イタリア王国はローマ併合に重たい腰を上げたのだ。最初にクールにザックリまとめる。 1870年[US094]7月19日、普仏戦争が勃発するとNap…
【再掲にあたっての備忘録】1870年[US094]9月2日セダンの戦いにおいてNapoléon IIIが捕虜となると、翌々日の4日フランス国内では共和国宣言が出され、第二帝政はあっさり崩壊した。 フランスは共和政の下で植民地政策を推し進め、ドイツ第二帝国に対抗すべく…
【再掲にあたっての備忘録】プロイセン王国によるドイツ統一の最後のピースはフランス第二帝政の打倒であった。ロシアがクリミア戦争敗北からの回復過程にあり、オーストリアが二重帝国化して弱体化た中、Napoléon IIIが最大の敵というのも事実だが、北ドイ…
【再掲にあたっての備忘録】1869年[US093]11月17日スエズ運河が開通した。建設・開通させたのはフランス第二帝政であったが、イギリスにとっては世界戦略の一大転機だったはずだ。なぜなら、イギリス領インド帝国(Indian Empire、1858年[US082]8月2日成立)…
ドイツ連邦から外されたオーストリアの歴史を学ぶ。オーストリアの歴史と言ってもオーストリア=ハンガリー二重帝国(1867年[US091]6月8日〜1918年[US142]11月11日)の歴史を一部学ぶだけだけれど… 今回はオーストリア=ハンガリー二重帝国の成立。最初にク…
【再掲にあたっての備忘録】Otto von Bismarckの思惑通り、オーストリア外しのドイツ統一の具体的成果が上がった。バイエルン王国など南ドイツ連邦を成立させた諸邦は不参加だった点もきちんと覚えておくべきである。プロイセン王国の力は、まだそこまで及ん…
クリミア戦争後のロシアの地政学としてアラスカ売却を学ぶ。最初に、クールにザックリまとめる。 1867年[US091]3月30日、ロシアはアラスカを720万ドルでアメリカに売却する条約に調印した。 交渉開始の正確なタイミングはSynmeが不勉強で分からないが、クリ…