Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

おっさんサラリーマンが語りたがる「給料とは我慢の対価だ」って何なのか?

サラリーマンを卒業したので、いくつかのトピックでサラリーマンについて書いてみました。今回で最後です。おっさんサラリーマンが語りたがる「給料とは我慢の対価だ」って何なのか? 最初に、クールにザックリまとめる。

「給料とは我慢の対価だ」とは、「オレだってこの会社を変えたいよ、でもシガラミがあって変えられないんだよ。オレはこんなに頑張ってるだろ? な? オレが支えてるんだよ、崩壊しない様にアチラもコチラも立てて、な? オレだからできてるこの我慢こそが、オレがオマエより高い給料貰ってる理由なんだよ分かるだろ。オレが若かった頃には…」の短縮形、かもしれない。

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「好き勝手する奴は許せない」とセットで使われることが多いフレーズ「給料とは我慢の対価だ」は上記の様な意味、かもしれません。

正直、「給料とは我慢の対価だ」が正しいかどうかを論じてみたところで、仕方がないので、ひとまずSynmeが外資系で働いている間に使っていた定義(Synme私見)を書きます。

Synmeの前提として数人単位のチームで働くのが基本というスタイルでした。アナリスト、アソシエイトなどと呼ばれるジュニアとヴァイスプレジデント、ディレクター、マネージング・ディレクターなどと呼ばれるシニアが数人組み合わさってチームを形成し、各プロジェクトを遂行して行くわけです。

プロジェクトはピッチないしオリジネーションと言われる案件獲得のための営業活動の場合もあれば、エクセキューションと言われる案件執行のばあいもあります。

前置きが長くなりました。さて、「給料」とはシニアとジュニアで定義が分かれるとSynmeは考えていました。

ジュニアにとっては、「給料とは(プロジェクトのために)提供したサービスの総和です」。もちろん提供した時間がベースになりますが、それぞれ生産性あるいは付加価値量が違うので、サービスの総和=時間x生産性=付加価値量の合計、ということになります。

シニアにとっては、「給料とはリスクとライアビリティ(責任)です」。毎年稼いだレベニュー(売上)がシニアの給料の原資です。そしてレベニューはプロジェクトから生み出されます。シニアは、各プロジェクトが上手くいかない場合のリスクを引き受け、必要に応じてライアビリティを取る。つまり、クビになったり、減俸されたりするわけです。

ジュニアは、結果にかかわらず提供した付加価値が給料の原資。シニアは、結果だけが給料の原資、かつ、結果に応じた責任を取る。という違いがあります。また、シニアはリスクをとってプロジェクトを選択し、限られたジュニアの時間(=リソース)を使うので、プロジェクトから成果が上がればボーナスUP、上がらなければクビ or減俸ということです。

で、最初の話に戻って、「給料とは我慢の対価だ」と語るおっさんサラリーマンに若手が反感を覚えるとすると、以下の様な理由を挙げることができますね。

  1. だとしたら、より多い「我慢」を強いられている僕/私の給料があなたより低いのはおかしいですよね?
  2. 「我慢」って言いますけど、上司に気を使って、「言うべきこと」まで言わず、「やるべきこと」もやらないから、あなた(とその下の僕/私)が責められてるんじゃないですか? あなたはそれでも何もしないだけですよね? それ「我慢」じゃなくて、「逃げ」とか「責任放棄」ですよね?
  3. そもそも、「我慢」してれば給料貰えるんだったら、誰でも良いってことですか? あなたでなくても良いってことですか?
  4. っていうか、最低限「言うべきこと」は関連部署なり、上司なりに言ってもらえませんかね? あなた(とその下の僕/私)のやってる業務は、あなた(とその下の僕/私)が一番詳しいわけじゃないですか。それは社内で共有すべきでしょう? 無駄に「我慢」してないで…

少なくとも、Synmeにとってはこれらの若手の反感の方が正しい気がします。正解を出す必要もないですし。「給料」の定義自体は好きにすれば良いと思うのですが…

 

実は、一番Synmeが気になったりするのは、電車の中とかファミレスとかで時々見かける「入社2〜3年目の先輩が、新入社員に『給料とは我慢の対価だ』みたいなことを言ってる光景」です。

それ本当?? 疲れたおっさんサラリーマンが言うならまだしも、君が語るのは何かちょっと悲しくない??

どうか、おっさんサラリーマンに酒の席で教えてもらった「訓示」を鵜呑みにせず、僕/私が培ってきた自分の価値基準でおっさんサラリーマンを評価する視点も忘れずに、と余計なお世話な感想を抱くSynmeです。

 

サラリーマンのトピック、以上になります!

 

文責:鵄士縦七

  

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フランスの地政学44:1912.3.30フェス条約

フランスの地政学を学ぶ。しばらくの間、アフリカ侵略と英仏露三国協商にフォーカスする。 今回はフェス条約。最初に、クールにザックリまとめる。 

1912年[US136]3月30日フランス第三共和政はモロッコ王国とフェス条約を締結し、モロッコの大部分をフランスの保護領とした。フランスは別途スペインと合意し、リーフ地方をスペインの保護領とすることに合意した。

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フランス第三共和政は、ノイカメルーンをドイツ第二帝国に譲るという代償を払いつつも、遂にフェス条約(1912年[US136]3月30日)をモロッコ王国と締結して、モロッコを自国の保護領とすることに成功した。

しかもドイツ第二帝国を外交的に孤立化させるというオマケ付きである。

また、別途、同年11月にスペインと合意してリーフ地方 - Wikipediaをスペインの保護領とした。

当時のフランスから見ると、スペインを味方につけている限り、ドイツ第二帝国と戦争になってもドイツ側の戦線に集中できる。海についてはイギリスと組んでいるので、モロッコの保護領化を実現するのと同じタイミングでスペインに一部地域(すなわちリーフ地方)の権益を認めて連携を強化できたのは一石二鳥だっただろうとSynmeは思う。

これでモロッコ事件は一応の一段落を見たことになる。

フランス第三共和政としては、ドイツ第二帝国の威嚇を受けながらもモロッコの大半を保護領化することに成功し、かつ、外交的には英仏露三国協商を含め、ニッポンやスペインとも良好な関係を構築することに成功した。

モロッコ事件における衝突を通じてドイツ第二帝国とフランス第三共和政の対立は先鋭化したものの、外交的には、この時点(フェス条約締結(1912年[US136]3月30日)時点)でフランス第三共和政の勝利は固かったと言えるのではないのかと、Synmeは考える。

とにかく近代歴史が語るのは、個別戦闘の勝利ではなく、戦略的外交を展開した国家が勝利するという近代国家間の戦争の方程式である。

synme.hatenablog.com

 

文責:鵄士縦七