Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

イタリアの地政学06:1866.6.7−8.23第3次イタリア独立戦争(普墺戦争)/1866.10.12ウィーン条約

今回はイタリアの地政学として普墺戦争を学ぶ。最初にクールにザックリまとめる。

イタリア王国はプロイセン王国と同盟して普墺戦争を戦いオーストリアに勝利。1866年[US090]ウィーン条約を締結し、イタリア王国はヴェネト地方を獲得した。

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古今東西、軍略の基本は「挟み撃ち」である。

成立したばかりのイタリア王国は「正しく」プロイセン王国と同盟し、オーストリアを挟撃して勝利したわけだ。

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完全に脱線だけれど、ニッポンの地政学を考える際には、ユーラシア大陸の東端の島嶼部という位置がユニークであることを忘れてはいけない。つまり、この「挟み撃ち」という軍略を国家レベルに適用するのが難しいわけである。もう少し説明すると、欧州大陸に位置する国家の場合は「挟み撃ち」戦略の同盟候補は自明である。しかし、ニッポンの場合は、少し難しい。

ロシアを挟み撃ちしようにも彼国はあまりに広大である。そして、ロシアの向こう側に位置するドイツは同盟国でありながら第二次世界大戦で裏切られていた。チャイナを挟み撃ちする場合、ロシア、インド、ベトナムなどが候補となるが、かなり大きなスケールで軍略を立てる必要があるのである。一方でニッポンの守備を考える際の「挟み撃ち」防止戦略はシンプルだ。アメリカ、ロシア、チャイナに三方を囲まれているので、この内の1国ないし2国と友好関係を維持することが不可欠となるのだ。

そして、現代チャイナ(=中国共産党(Communist Party of China, "CPC" ))がニッポンを敵視していること、ロシアには第二次世界大戦で裏切られ現代に至るまで平和条約が締結されていないことの両点に鑑み、アメリカ、ベトナム、インド、ポーランド、トルコ等との同盟関係・友好関係が不可欠だと言うことは言えるだろう。

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なにはともあれ、普墺戦争(1866年[US090]6月7日〜8月23日)にプロイセン・イタリア連合軍が勝利し、オーストリアが敗北すると、1866年[US090]10月12日オーストリア、フランス第二帝政、イタリア王国の間でウィーン条約が締結された。同条約により、形式的にはオーストリアがヴェーネト地方をフランス第二帝政に割譲、そのままフランス第二帝政からイタリア王国に割譲されて、イタリア民族はヴェーネト地方を回復した。

ちなみにGiuseppe Garibaldiは第3次イタリア独立戦争(普墺戦争)にも参戦している。今度は、「アルプス猟兵隊」を招集し、イタリア王国正規軍と共にベッツェッカの戦い(1866年[US090]7月21日)でオーストリア軍と戦い、勝利している。

 

文責:鵄士縦七