フランスの地政学49:1860サルデーニャ王国による中央イタリア諸国の併合
イタリア統一戦争との関連でフランスの地政学を学ぶ。今回はサルデーニャ王国による中央イタリア諸国の併合。最初に、クールにザックリまとめる。
1860年[US084]フランス第二帝政はサヴォワとニースをサルデーニャ王国から獲得した。サルデーニャ王国の中央イタリア諸国の併合をイギリスと共に承認することで、第2次イタリア戦争を軍事援助した見返りをようやく回収したものであった。
オルシーニ事件(Orsini affair - Wikipedia)、1854年[US078]1月14日)を契機にサルデーニャの対オーストリア戦争を援助することを決めたNapoléon IIIは1858年[US082]サルデーニャ王国とプロンピエールの密約を交わし、軍事援助の見返りにサルデーニャがサヴォワとニースを割譲することを取り決めた。
第2次イタリア独立戦争(1859年[US083]4月29日〜7月11日)が勃発。Napoléon IIIは、密約通り、開戦直後の5月3日にオーストリアに宣戦布告した。
サルデーニャ・フランス同盟軍が優勢な中、ドイツ連邦諸邦の介入を恐るNapoléon IIIはサルデーニャに無断でオーストリアとヴィッラフランカの休戦を締結してしまった(1859年[US083]7月11日)。
サルデーニャ王国はプロンピエールの密約の履行を履行せずに引き延ばしていた。しかし、フランス第二帝政はイギリスと共にサルデーニャ王国による中央イタリア諸国の併合を承認してやる代わりに、当該履行を求めたのだ。
こうしてフランス第二帝政はサヴォワとニースを獲得した。
Napoléon IIIは、サルデーニャ王国と密約を交わしてオーストリアに勝利し、ロンバルディアを形式上オーストリアから(フランス第二帝政に)獲得してサルデーニャ王国に(フランス第二帝政から)割譲してやり、密約を履行しないサルデーニャ王国がオーストリアとの講和条約を破って中央イタリア諸国を併合しようとする「弱味」につけ込んで、サヴォワとニースを改めて催促・獲得したわけだ。
う〜ん高度な外交。ニッポンに真似できるだろうか… 一方で、ヨーロッパならではの外交という気もする。技巧的に過ぎるというか…
ただSynmeが思うに、領土に組み入れても「飛び地」になるロンバルディアや中央イタリア諸国に拘泥せず、陸続きの領土拡大となるサヴォワとニースを獲得するところからブレないスタンスはニッポンにとっても参考になるのではないかと思った。
文責:鵄士縦七