イタリアの地政学05:1861.3.17イタリア王国の成立
今回はイタリアの地政学としてイタリア王国の成立を学ぶ。最初にクールにザックリまとめる。
Garibaldiと赤シャツ隊により両シチリア王国もサルデーニャ王国に併合されることとなり、1861年[US085]3月17日イタリア王国が成立した。
サルデーニャ王国は、第2次イタリア独立戦争(1859年[US083]4月29日〜7月11日)に勝利してロンバルディアを獲得し、1860年[US084]イギリスとフランス第二帝政の許可を得て、パルマ公国、モデナ公国、トスカーナ大公国、ローマ以外の教皇領を併合した。
この結果、イタリアには、サルデーニャ王国、ローマ教皇領、オーストリア領ヴェーネト州および両シチリア王国という4つの勢力が残った。
Synmeは不勉強で知らなかったが、サルデーニャ王国としてはヴェーネト州とローマを併合できれば「北」イタリア王国統一事業は完成という筋書きだったようだ。
ここでGiuseppe Garibaldiと赤シャツ隊(Camicie rosse)が登場する。両シチリア王国内で勃発した反乱を契機にしてGiuseppe Garibaldiと赤シャツ隊が両シチリア王国を征服することに成功してしまったようだ。そして、1860年[US084]10月25日Giuseppe Garibaldiは自身が征服したイタリア南部をVittorio Emanuele II di Savoia(サルデーニャ王国最後の国王、後のイタリア王国初代国王)に献上したのだ。
こうして、1861年[US085]3月17日イタリア王国が成立(〜1946年[US170]6月2日)してRisorgimentoがひとまず達成されることになった。
どうやら実態はイタリア南部各地で住民投票が行われ、イタリア民族がサルデーニャによる併合を望んだので、Giuseppe Garibaldiと赤シャツ隊がサルデーニャ王国正規軍に従ったということらしい。
正直、不勉強でよく分からないが、 このフワッとしたイタリア王国成立を契機として、今後のRisorgimentoすなわちイタリア民族主義は、未回収のイタリア(Italia irredenta) ローマやヴェーネト地方などを取り戻すことにフォーカスしていくことになる。
結果論ではあるが、なにはともあれイタリア内戦を終えたことに最大の意義があったのだろうとSynmeは思う。そして、このイタリア王国を基礎にして普墺戦争と普仏戦争というプロイセン王国の躍進に乗じてヴェーネト地方やローマを獲得していくことになる。
文責:鵄士縦七