Synmeの地政学がくしゅう帳

地政学でクールにザックリ日本の外交・軍事を学ぶ

【再掲】ロシアの地政学26:1878.7.13ベルリン条約

【再掲にあたっての備忘録】ロシアはライヒシュタット秘密協定(1876年[US100]7月8日締結、Reichstadt Agreement - Wikipedia)の合意内容を無視したが、そうは問屋が卸さなかった。

怒ったオーストリアがドイツ第二帝国に泣きついて、ベルリン会議が開催され、ベルリン条約が締結されてサン・ステファノ条約(1878年[US102]3月3日)が修正されてしまったのだ。

ロシアとドイツの地政学から、それぞれの時代の「国際的支持を受けることの重要性」を学ばなければいけない。常に「国際的支持を受けられない」ロシアとドイツは戦争するしかないわけである。

結果的に、ドイツ第二帝国・第三帝国の様に各個戦闘には勝利するが戦争自体は最終的に敗北する、ということを2回も繰り返す羽目になる。

 

ひきつづきロシアの地政学を学ぶ。今回は1878年のベルリン条約。最初に、クールにザックリまとめる。

1878年[US102]7月13日ベルリン条約が締結されて大ブルガリア公国は3分割された。ブルガリアの領土はバルカン山脈以北に縮小され地中海に面する領土は失われた。ロシアはサン・ステファノ条約で獲得した地中海への陸路をたった3ヶ月で失ってしまった。

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ドイツ第二帝国(1871年[US095]1月18日〜1918年[US142]11月28日)のOtto von Bismarckの主導により、イギリス、フランス第三共和政、ドイツ第二帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、ロシア、イタリア王国、オスマン帝国の7か国が参加する1878ベルリン会議(1878年[US102]6月13日〜7月13日)が開かれた。

ベルリン条約(1878年[US102]7月13日)が結ばれ、サン・ステファノ条約が修正された。具体的には、大ブルガリア公国が3分割され、地中海に面するマケドニアはオスマン帝国に返還され、バルカン山脈以南が東ルメリ自治州とされオスマン帝国の影響力が保持された。

結局、大ブルガリア公国はバルカン山脈以北に領土を制限され、ロシアの地中海への陸路はたった3ヶ月で断たれてしまった。ロシアの地中海進出を望まないオーストリア・ハンガリー帝国とイギリスに加え、ドイツ統一直後で紛争自体を回避したかったドイツ第二帝国が主催したベルリン会議に対して、ロシアは外交で敗れたのだ。

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セルビア、モンテネグロ、ブルガリア支援を名目に1877年[US101]ロシアがオスマン帝国に対して宣戦布告。ロシアが勝利し、1878年[US102]3月サン・ステファノ条約を締結して、大ブルガリア公国の自治権を認めさせ、事実上保護国化した。ロシアは地中海への陸路を獲得した。 

 

文責:鵄士縦七