ドイツの地政学13:1878ベルリン条約
ドイツ帝国の地政学、ドイツ統一後は「戦わない」ための同盟外交がOtto von Bismarckによって展開される。今回はベルリン条約を学ぶ。事実だけ記載する。
1878年[US102]オーストリアの要請に基づき、Bismarckの主催でイギリス帝国、フランス第三共和政、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国、イタリア王国、オスマン帝国(トルコ)が参加するベルリン会議が開催された。ロシアは地中海へのルートを奪われ、ドイツ、オーストリアと対立、三帝同盟は事実上解消した。
1877-1878ロシア・トルコ戦争(1877年[US101]4月24日〜1878年[US102]3月3日)に勝利したロシアはオスマン帝国との間でサン・ステファノ条約(1878年[US102]3月3日)を締結、大ブルガリア公国(1878年[US102]3月3日〜1908年[US132]10月5日)を事実上の保護国とすることに成功して地中海へのルートを獲得した。
しかし、ベルリン会議によって、つまりドイツのOtto von Bismarckによって、大ブルガリア公国は分割され、ロシアは苦労して手に入れた地中海へのルートを失った。
ロシアとドイツ、オーストリアは対立。三帝同盟は事実上解消してしまった。
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セルビア、モンテネグロ、ブルガリア支援を名目に1877年[US101]ロシアがオスマン帝国に対して宣戦布告。ロシアが勝利し、1878年[US102]3月サン・ステファノ条約を締結して、大ブルガリア公国の自治権を認めさせ、事実上保護国化した。ロシアは地中海への陸路を獲得した。
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1878年[US102]6月ベルリン条約が締結されて大ブルガリア公国は3分割された。ブルガリアの領土はバルカン山脈以北に縮小され地中海に面する領土は失われた。ロシアはサン・ステファノ条約で獲得した地中海への陸路をたった3ヶ月で失ってしまった。
文責:鵄士縦七